遠藤博士の指導を受けた青汁の元祖とも言えるキャベツの原種である【ケール】を使用した【遠藤青汁みどり】近年人気の青汁ですが実は戦後に遠藤博士が考案されたことはあまり知られていません。自然のものなので色は収穫時期によりバラつきがあるそうやや溶けにくいのでホンマはシェイカーを使うのがオススメお味の方は・・・「苦~」スンマソン、これ入れさせてもらいまスタうん、マイルドになって飲みやすくなった良薬口に苦し 遠藤 仁郎(えんどう にろう)医学博士 1900年~1997年、岡山に生まれる。1925年、京都帝国大学医学部卒業。同大学講師、大阪女子医専(現関西医科大学)教授を経て、倉敷中央病院長。1979年退職後、名誉院長。1943年から緑葉食青汁運動を提唱・実践し、1961年『青汁の効用』(主婦の友)を刊行して全国に青汁ブームを巻き起こした。生前は遠藤青汁の会会長として機関紙『健康と青汁』を発行し、青汁の普及に情熱を燃やされました。食生活もイモ・マメ・ナッパを自家栽培して主食とされていました。 平成6年5月8日、全国の有志により遠藤博士の偉業を称え、岡山県倉敷市の向山公園に設置されたブロンズ像除幕式が行われました。(下の写真は除幕式、その下の文章は顕彰碑全文) (弊会会長の参会記より) 先生は当時94才の御長寿、その御姿に接し感慨無量のひとときに浸らせて戴いたのでありますが、先ず幹事の開会の辞に対して、先生は小さな御声で「ともかく有り難う御座居ました」と述べられ、その受付で配布された小冊子について「私の生涯である青汁に関して“あをむしのねごと”を御礼に」と申され、先生の欲得のない淡々とした態度は、列席者一同を5月の晴朗な中で敬愛の念を抱かせるのに十分でありました。 写真上:遠藤博士の胸像と顕彰碑(本文は下記)、胸像正面、 写真下:胸像前でご挨拶される遠藤博士 医学博士 遠藤仁郎先生をたゝえる 遠藤博士は、明治33年(1900年)2月28日、岡山県英田郡英田町福本に生まれる。 大正6年岡山県立津山中学校卒業、大正10年第3高等学校卒業、大正14年京都帝国大学医学部卒業後同大学講師、大阪女子医専(現関西医大)教授を経て、昭和20年倉敷中央病院内科医長、昭和38年より昭和54年まで倉敷中央病院長を勤める。退職後名誉院長となる。 先生は、京都在住の若年より、世人にさきがけて「食と健康」に模索を続け、昭和18年10月20日「青汁開眼」より半世紀の永きに亘り毀誉褒貶(きよほうえん)の嵐の中を「緑葉食青汁運動」を提唱、時世の推移とともに難病、奇病の続出する一億総半病人とまで言われる国を救う道はこれしかないと有機無農薬栽培による安全野菜(イモ、マメ、ナッパ)青汁の食生活改善を提唱、実践をすゝめられた救国の大医、開眼50年に当り、恩恵に預かった全国の有志相謀り、この地に顕彰碑を建立する。 平成5年10月20日 遠藤仁郎博士顕彰会 遠藤博士は常々こうおっしゃっておられました。 「青汁の原料となるケールは農薬や化学肥料で栽培したものでは駄目だ」 「ビタミン・ミネラルをバランス良く摂るには清浄なケールを使うべきだ」 私共は博士の直接指導を受け、皆様に良質で清浄な青汁を提供するため農薬を使わずに栽培したケールを原料として100%使用し、衛生的に「粉末」「粒状」「顆粒」に加工いたしました。 純粋な原料と独自技術によりその品質は高く、いわば青汁の元祖であると自負している次第です。 また、「粉末」はもちろん、「粒状」「顆粒」も凝固剤や甘味料・着色料などの添加物は一切使用しておりませんので、ご安心の上ご愛飲下さい。 そのため夏に収穫した葉を使用したものと、冬に収穫した葉を使用したものでは色・味が違います。夏のものは色は薄く苦味があり、冬のものは色は濃く甘味があります。着色料・調味料などの添加物を使用していない「自然のまま」という証明とお考えいただければ幸いです。 美容と健康のビー・エイチ・ラボファンサイト参加中ケールの青汁【みどり】遠藤青汁
投稿日時:2012/09/04
: ☆しぃ☆のブログ
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