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コロムビア♪より あなたの“沖縄エピソード”を教えて下さい!!【上間綾乃】

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私の“沖縄エピソード”|沖縄大好きへぐ☆巛の戯言

 モニプラで、「コロムビア♪より あなたの“沖縄エピソード”を教えて下さい!!【上間綾乃】」というテーマがあったので、私の音楽の島ー沖縄への憧れと想いについて、以前にも書いたこともあわせてあらためて書くことにする。

コロムビア♪より あなたの“沖縄エピソード”を教えて下さい!!【上間綾乃】 ←参加中

私が沖縄に興味を持ったきっかけは、音楽だった。1993年に大ヒットしたTHE BOOMの「島唄」を聞いて、そのスケールの大きさ、三線のメロディーと一緒になって印象的な宮沢和史のボーカルが忘れられなくなった。

 さらに1995年に「沖縄アイドルブーム」に米国留学中に出会ったのが転機となった。当時日本テレビ系の人気番組「The夜もヒッパレ」に出演していた、安室奈美恵 with スーパーモンキーズ(後のMAX)を知り、日本に帰国した1996年からコンサートがあれば各地を回ることになったのだ。

 まず、安室奈美恵を、その後は主にMAXにはまって、全国ツアーには追っかけとなってコンサートに遠征していた。

 そのため、1997年頃、最初に沖縄に旅行したときの主要な目的は、安室奈美恵とMAXの育った那覇周辺と「沖縄アクターズスクール」を見てみたいということだった。その時の宿泊先は、彼女たちと縁あることから読谷村の「ホテル日航アリビラ」にした。

 だが、読谷村に行ったことで、違う沖縄に触れることになった。

 当時、免許を持っていなかった私は、那覇空港からホテルまではJALの直行バスで来ていたが、その後、沖縄本島を移動するのに、路線バスを使って、本当中部の北谷町サンセットビーチへと移動するつもりだった。読谷村のバス発着場まで歩いて10分程度ということで、案内地図をもらって、気楽に歩き出した。

 さとうきび畑が続く中に、ぽつんとテーマパークらしきものが、現在は体験王国むら咲むらになっているNHK大河ドラマのセット跡地だった。当時は単にセットが見学できるだけのさびれた施設だったのであまり興味も持てずに素通りした。

 そのまま歩いていくと、舗装された道路から一段低くなった窪みが目に付いた、それが沖縄戦で、集団自決のあったチビチリガマ(自然壕)だった。壕の入口に降りて行くと、集団自決の説明と、1987年4月に犠牲者に対する鎮魂碑「平和の像」が作られたが、同11月に破壊され、その後、再建されたことが記されていた。

 平和の像が壊されたという新聞報道を覚えていたへぐ☆巛は、沖縄アイドルの追っかけという気楽な気分から、太平洋戦争で、沖縄を見捨てた本土の人間であるということにあらためて、気付かされ、いまだ遺骨や遺品が残っているという理由で遺族会によって立ち入りを禁止されているガマの入り口で合掌だけして、その場を立ち去った。

 今年、2012年5月15日は、沖縄復帰40周年と言われる。だが、私は、本土の人間として、5月15日をどう呼ぶべきかを迷い、「沖縄の施政権返還40年」と表現するのが一番いいかと考えている。

 復帰というのは、日本が講和のときに沖縄を置き去りにしておきながら勝手な言い分という気がするし、沖縄返還では、それじゃ72年まではアメリカの「領土」だったのかという気がするからだ。

 そんな言葉にこだわりながら、沖縄のたどって来た歴史と現状をどれくらい知っているかと言われると笑ってしまうくらい無知である。

 しかし、自分がThe BOOMの「島唄」で沖縄に惹かれ、チビチリガマで沖縄戦が過去の問題ではないと感じたことは必然だったのかと思える「島唄」を生み出したThe BOOMのリーダー、宮沢和史さんの言葉だった。

 沖縄音楽旅行 Vol.3(2012年5月15日発行)のインタビュー
「ガマに行ったとき、まだそこにたくさんの魂が留まっているように感じました。ひめゆり平和祈念資料館近くのさとうきび畑、そのすぐ先で起きた悲惨な現実、そのコントラストに衝撃を受けたりもしました。
『沖縄で起きた事実を伝えなければいけない、資料館で話をしてくださったガイドの女性の方に聴いてもらえるような、そんな楽曲を作りたい。』と、東京に帰ってすぐ、沖縄で感じた想いを楽曲に託していきました。戦争によって亡くなった方んも魂が空に向かって羽ばたいて欲しいという想い‥。そして完成したのが『島唄』でした。」

 まさしく私が感じた想いが「島唄」には表現されていたのだ。
さらに宮沢さんは、沖縄の人ではないのに何故沖縄の唄を歌っているのかと言われたこともあったそうですが、今年1月リリースのシングル「シンカヌチャー」の制作時、
デイアマンテスのアルベルト城間さんに「宮沢さん、なんでそんなに沖縄の血にこだわるの?宮沢さんは20年も沖縄のことを考えながら音楽を作って、こんなに沖縄を愛しているんだから、ウチナーンチュだよ」と言われて、世界中の沖縄を愛する人が「ウチナーンチュ」という枠とっぱらって、「シンカヌチャー(仲間)」としてひとつになれる時が来たと感じられたそうだ。

 私の願いも、そのように沖縄を愛するシンカヌチャーになれればということである。そして、そのような歴史的な瞬間に魂をゆさぶる沖縄の唄者、上間綾乃さんに出会えたことを嬉しく思っている。2012年5月13日、大阪・服部緑地野外音楽堂で行われた第1回ハイサイ!琉球まつりで私は上間さんに出会い、三線を引きながら、天使のようによくとおる歌声は一度聴くと忘れられないものだった。それ以来、私は彼女の唄に心酔しており、メジャーデビュー以後の活躍を全面的に応援したいと思っている。

 米軍占領下の収容所でもカンカラ三線を作って、唄を歌い、「生きているお祝いをしよう」と呼びかけた沖縄の芸能の力に強く惹かれつつ、また新たに上間綾乃さんのような新しい唄者を生み出す沖縄を愛する人々がシンカヌチャーになれるように願ってやまない。

へぐ☆巛   2012-06-03 00:00:00 提供:日本コロムビア株式会社

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