『EO(イーオー)アロマコスメ』
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6月の空 宮森630(CD付き)ハーフセンチュリー宮森 (著), 磯崎 主佳 (イラスト), 池宮城 けい (監修), 中村 ヒューバーケン (翻訳) 沖縄、宮森小学校の子どもたち11人の命が一瞬にして燃え上がり黒こげという無惨な姿になりました。もう51年も前のお話です。戦争も終わり、平和の道を歩み始めた日本なのに、まるで戦争中のような悲惨な事故が起きました。びっくりしたろうね。痛かったろうね苦しかったろうね。もっと生きたかったよねお父さんやお母さんと呼んだかな・・・【内容紹介】1959年6月30日午前10時40分頃、アメリカ空軍のF100Dジェット戦闘機が火を噴きながら石川市街地に墜落。宮森小学校は直撃を受け、爆発によって一帯は火の海となりました。児童11人、一般6人、計17人が亡くなり、210人が負傷しました。世界に類をみない大惨事となった米軍ジェット機の墜落事件ですが、米軍は現在まで墜落原因を正式に公表していません。 本書覗き見琉くんという男の子が51年前にタイムスリップし、宗ちゃんという子と知り合い、知らない学校へ行き遊びます。そして、墜落事故の現場に遭遇現代に戻った琉くんは、事故で幼い息子を亡くした祖父母(ムネじい、チエばあ)の苦しい体験の話しを聞きます。過去の苦しい体験や悲しみ、親子の愛と命、平和の大切さにふれた絵本です。 1959年6月30日 午前10時40分 2時間目終了後のミルク給食時とつぜん大きな音がして、真っ赤に火をふいたジェット機がつっこんできました。「ワァー、助けてー、お母さーん!」あれから50年が経過孫の琉くんに向かって、仏壇から出してきた息子の宗ちゃんの写真を見ながら、ムネじいとチエばあは悲しい思いでを語ります。「この子はね、ムネじいの子どもだよ。亡くなってから明日でちょうど50年。一日もわすれたことはなかった。わすれたくても、わすれられなかったよ。」「ごめんね宗ちゃん。あの日、頭が痛いから学校休みたいって言ったのに、むりやり行かせたよね。私のせいだよ、ごめんね」チエばあは後悔の念一杯に写真に話しかけ、ぼろぼろ涙をこぼしました。「ジェット機が学校におちるなんて。教室につっこんでくるなんて」チエばあは、涙をふきながらつづけました。「ムネじいと学校にかけつけるとね、アメリカ兵が「中に入るな」ってどなったんだよ。ムネじいは、『自分のこどもをさがすのに何ではいれんのか!』ってアメリカ兵をつきとばして入ったよ」「宗ちゃんは、なんで、なんで死ななければならなかったのかねって、ずうっとくやしくて・・・・」ムネじいは琉くんに言いました。「琉くんがこの家に生まれたときからだよ、ムネじいに笑顔がもどったのは。宗ちゃんの分まで元気でいてね」チエばあは、琉くんにほほえみました。「50年・・・・」ムネじいとチエばあは、黙ったままじーっと、6月の空をみつめていました。ムネじいはえんがわに出て、サンシンをひき始めました。「明日は6月30日。いっしょに慰霊祭にいこうね」チエばあがいいまいた。「宗ちゃんに、話しかけてやってね、よろこんでくれるさぁ」「うん」琉くんは、大きくうなづきました。【発行に当たって】絵本づくりに取り組んだのは、うるま市の若者たち。ハーフセンチュリー宮森の皆さんです。事故を教訓に、命と平和の尊さを伝える表現集団「ハーフセンチュリー宮森」(宜野座映子代表)は事故から51年を迎える30日、遺族らの聞き取りを基にした絵本「6月の空」を刊行。宮森から世界に平和の尊さを発信しようと、日英2カ国語で朗読したCD付きです。事故の記憶を風化させないと願う思いが託されています。 主人公のムネじい、チエばあのモデルになったのは、喜納福常さん、秀子さん夫妻です。喜納さん夫妻「中頭病院に着いて、ようやく子どもを探したら、まっ黒けでお腹のバンド、ゴムしか残っていなかったわけですよ。そこだけ白くて。私はそれを見て気絶してしまったんです」お二人の息子さん・常次くんは全身に大やけどを負い、亡くなりました。苦しみながら息を引き取ったわが子を福常さんは火葬にすることができなかったと語りました。喜納さん夫妻「もう火葬はしなかったですね。一度焼かれたからかわいそうで。火葬しようというけど、この人がまた火葬にするかと反対したんですよ」福常さんたちが語った51年前の事故の状況。それは想像以上に悲惨なものでした。 (琉球放送朝日報道部より) 【絵本あとがきより】イラストイラストを担当したのは、沖縄戦関連の絵本を多数手がけてきた磯崎主佳さん。「土地が記憶するもの」をこの絵本に込めるため、事故当時から宮森小学校に残っているフクギの葉と土でこの淡く優しい色を出しています。それを使って染色した紙を用いて絵が描かれています。 CD若者たちの提案で、CDもつけることになりました目の不自由な方々にも聴いていただきたいという思いから日本語の朗読を収録。世界の多くの人たちこの宮森の惨事を伝えたいという思いから英訳・英語朗読を収録。オリジナル曲「想(ウム)い花(バナ)」を収録。(昨年亡くなった遺族を思って作ったという門口涼子さん(22)は50年間ずっと、事故で亡くなった人に支えられて生きている人がいるということを知った」と歌詞に込めたそうです。)舞台劇舞台「フクギの雫」を制作上演を実施しています。 この事故は世界に類をみない大惨事となりました。飛行場は、普通危険回避のために民家からは離れたところに建設されているのにも関わらず、何故に民家の中に基地が大手を振っているのかというところを私達は考えなくてはならないと思います。同じ日本人として、沖縄の方々の苦しみを思うと「生命宝(ぬちどうたから」が無視されているようでお気の毒に思います。語弊がありますので柔らかい言葉に留めておきますが、このままでよいのでしょうか?この絵本のあとがきにハーフセンチュリー宮森は、宮森小学校の惨事を“世界のどこにも二度と起こしてはならない”という想いと、全ての命が大切にされる平和な世界の実現を願っています”と、ありました。またこの惨劇を描いた舞台劇には、宮森小のお子さんと一緒に立ったそうです。その経験をもとに、多くのこども達にこの事実を伝えて行くことが大事。そのためにいつでも、だれでも、どこでも手にとってもらえる「絵本」を作ろうと制作を開始しました。沖縄の若者はたくましく実行力がありますね。心強い思いで一杯になりました。この記事を書きながら私は、亡くなった子どもさんや大人の方、遺族の方の思いに立つと涙が止まりませんでした。CDに収録されている「「想(ウム)い花(バナ)」も涙を誘います。広島ピアノさんから上記の絵本を送っていただいて、すぐに読み添付のCDを聴き、迷うことなく皆様にこの事実と絵本のことをお伝えしなければという気持ちになりました。またこの絵本に関わっている方々がお若い集団だということにも広島ピアノさんもまだまだお若い方であることに恥ずかしささえ感じました。年長者としては居ても経ってもいられなくなったと言うのが、この記事を書こうと思った一番の理由です。この短く拙いブログでは、数分の一もお伝えできていないかもしれません。しかし過去の事実は風化させてはいけない。犠牲になった方々の無念の死の為にも教訓を活かさなければ、惨劇を繰り返すことになりかねないと思います。不足の分を皆様のお力で補っていただけたら幸いです。 皆様、どのようにお考えになりますでしょうか?よろしかったら、ご意見、感想をお聴かせください。長々とお付き合いいただきましてありがとうございました※前記事、半年ブログにたくさんの温かいまた過分なコメントをいただきありがとうございました。今後もぼちぼちやって行きますので、この拙いブログを今後ともよろしくお願いいたします☆ またね
スマイル 2010-07-29 16:00:00 提供:EO(イーオー)/株式会社アトラス
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