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郡上八幡城へ行ってきました郡上八幡城です。このお城、人柱が乙女の魂って屋根の曲線が美しいですね景色も綺麗~戦国時代末期の永禄二(1559)年 郡上領主 東常慶と遠藤盛数 との間で郡上支配をめぐる赤谷山城の戦いが起った。その際、盛数がここに陣を構えたのが郡上八幡城の創始である。その後、盛数の子 慶隆が郡上を統一し、城や城下町を建設するかたわら、信長,秀吉 に従って各地を転戦、天正十六(1五八八)年 加茂郡小原へ転封となっ た。代わって城主となった稲葉貞通は天守台等を設け本格的な山城 として大改修を行った。慶長五(一六〇〇)年 関ヶ原の戦いが起ると、遠藤慶隆は、東軍の徳川家康に味方し、郡上八幡城の戦いを起こし た。同年 慶隆は郡上藩主として復帰し、同九年 改修を終えた城に入った。その後、慶隆の孫 常友は城下町や城の大改修を行い、幕府 より名実ともに「城主」として認められた。 遠藤氏が近江三上へ転封後、井上氏・金森氏が相次いで入部す るが、宝暦年間に起った宝暦騒動(郡上一揆一七五四年一一七五八年) により金森氏が改易となる。以降、代わって入部した青山氏により 百年以上の治世が続くが、明治四(1871)年の廃藩置県によって郡上藩四万八千石は、終息した。現在の天守は昭和八(1933)年に再建された模擬天守で、木造の再建城としては日本最古である。昔の写真が載ってるけど、今の城と全然違くない?2020秋冬シクラメンコレクション インスタ投稿プレゼント!
もこちゃ 2020-11-07 08:50:00 提供:株式会社ハクサン
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