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『インドリームワールド』

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母の淡い紫色の思い出

インドリームさんの企画


★あなたがクリスマスに贈りたいスカーフはどれ★


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私が たぶん小学生にもならない幼い頃・・


小さく区切られた箱状の小さな枠の中で、
蚕が まゆ を作っているのを見ている記憶がある。
そして窓際の壁には、絹の糸が吊り下げてある。




それを指さした誰かが、「あれが絹よ」 と私に教えてくれた。




あれは、どこの風景なんだろう・・・?




そう思いながら、母に電話をした。






母曰く




母の実家の前の家の屋根裏のような小さな部屋で
蚕を育てていたそうだ。




多分、帰省の際に、
私をそこへ連れて行ったんではないか・・と言う。


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「蚕に くわの葉をたっぷりあげて育てるの。
すると そのうち 「まゆ」を作るのよ。
それをお湯につけて 糸車で糸を紡いでね・・」


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母が のんびりとした口調で話を続けた。






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その紡いだ絹の糸をお母さんが、機織り機で
反物を作ってね。
七五三の着物を作ってくれたのよ。


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幼い頃の思い出話を語る母の口調は、
いつもにも増して優しい。




それにしても、いくら昔とはいえ、
まゆから糸を紡いで、反物を作り、着物まで作った時代が・・・
私の祖母の時代だったとは驚きだ。




正直、そんな作業をしていた時代は、
もっともっと大昔の話だ、と思っていた。




自分の家で紡いだ絹の糸は
今のように機械で よった糸とは異なり、
太さも均一でなく、でこぼこだったらしい。


幼かった母は、自分の母親が その「でこぼこの絹糸」から
反物を作り、一生懸命 
自分の七五三用の着物を作ってくれる姿を見て、
とっても嬉しかったものだ、と言う。




反物を染めたのか、絹糸を先に染めたのか・・
今の母は覚えていないらしいが、




出来上がった七五三用の着物は、
淡い紫色をしていた、という。






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うちはね、女の子の数が多かったでしょ。
だから皆で大切に着たの。


一番上の姉が仕立ててもらった着物は、
二番目の姉さんが七五三の時には、その着物を下にして、
上に着る物を新しく仕立ててもらったのよ。


そうやって、皆が自分の七五三の時に、
一番上に羽織る着物を新しく母が作ってくれたの。


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寒くないように、重ね着をした、という事らしい。




<長襦袢・お姉さんのお古の着物・自分の新しい着物>




・・・と重ねて着たのだと言う。






「じゃ、母さんは6番目の娘だから、
長襦袢合わせて7枚着たってこと?」






と聞くと、




「馬鹿ね~( ´艸`)
一つ上の姉さんの着物だけを着たのよ、皆。3枚ずつよ」 




と母に笑われた。














昭和16年生まれの母が七五三の時の話だから、
昭和23年の話だ。






母は一番末っ子。
戦後の生きていくのが大変な時代、
年の離れた姉たちに育てられたようなもので、
あまり母親(私にとっての祖母)との思い出が無いという。




そんな中、自分のために蚕のまゆから一生懸命
仕立ててくれた七五三の絹の着物に、
自分への愛情を再確認したのだと思う。




その淡い紫色の着物が母は嬉しくて嬉しくて仕方がなかった・・


そう言う母の少し声のトーンは少し高くなっていた。






だけど、食べるものにも困る時代の事だ。




絹は丈夫なので、
末っ子の母の着物は 
下の子供の七五三の着物の下に着せるというお役目もなく、
何かに形をかえ、他の物になったらしい。




七五三の思い出を最後に、
母が 自分が愛されていると感じることの出来た
大切な その淡い紫色の絹の着物を見ることは、
その後無かった、と言う。












母の母(私の祖母)は、
私が小学校3年生のころ←昭和53年頃だろうか・・に
亡くなっている。






祖母が亡くなる前に田舎から上京し、
末っ子だった母にとっては、
今や形見となるものは何もない。




ただ・・・その淡い紫色の着物の思い出だけが
母にとって色あせることが無い大切な形見なんじゃないか・・




と思う。













母が七五三をした昭和23年から 時代は流れ、60年が過ぎた。








今、娘の私から 






母が 母親からの あったかな愛情を感じる事の出来た
淡い紫色の絹の着物と同じ、 
紫色のシルクスカーフを贈ってあげたら
どんな顔をするだろうか。












私は・・


母の思い出の中の 淡い紫色の着物は
作ってあげることが出来ない。




だけど・・・




紫色の絹を・・・




紫色のシルクスカーフをまとった母を
私も見てみたい。




そして、




母に思い出の中の紫色の絹のぬくもりを
もう一度 母にあげたい。






だから、私がスカーフを選ぶとしたら この紫色のスカーフだ。















きっと天国の祖母も見てくれるだろう。


あなたが作ってくれた淡い紫色の着物と
同じ色のスカーフをした母の姿を。





あなたの末っ子の娘はもうじき70になります。


今も元気に過ごしていますよ。


















あなたの贈りたいスカーフを探して、プレゼントをもらおう♪@InDream

kokage   2008-12-16 23:28:11 提供:株式会社インドリーム

企業紹介

株式会社インドリーム

青山の高級インドストール専門店。
インド直輸入、手刺繍ショール、ペイズリー柄ストール、高級パシュミナ、パーティーストールなど種類も品数も豊富。
メンズストールもあります。

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