なぜでしょうか。人が喜んで何かを話していると、ついつい「自分だって」とか、「自分の方が」という気持ちが頭に浮かんできてしまうことがありますよね。そしてついつい口を挟み、「出る杭は打つ」とばかりに「別に大したことではない」ことを話し始めてしまいます。まさに相手が喜んでいるところに水をさす行為で、そうやって相手をやり込めたからといって誰も幸せになることもないのに…。そんな事をして自分でも気付かない内に、喜んでいる相手をひがんでしまっているのでしょうか。もし、相手の喜びを素直に一緒に喜ぶことができたなら…。 誰かが嬉しそうに話しかけてきました。例えば、テストで80点とったと喜んでいたとします。普段50点前後の点数しか取れないその人にとって、80点はまさに快挙です。嬉々としてあなたに結果を伝えに来ました。でも、80点は普段の点数で、このテストは特に簡単だったので100点を取ってしまったあなたから見ると、80点はそれほどのことではありません。「今回は簡単だったからね。私も100点だったし」・・・と言えば、確かにあなたのその人に対する虚栄心は満たされるかもしれません。しかし、相手はせっかくの喜びも冷めてしまい、むしろ喜んだことを恥ずかしいと思うでしょう。もし、「スゴイよ。頑張ったんだね」・・・と言うことが出来れば、相手は自分より頭の言いあなたに褒められてもっと嬉しくなりますし、これをきっかけに勉強ももっと頑張るかもしれません。何より、あなたのことをもっと好きになるでしょう。なぜ、人の喜びを喜べないのか。心が満たされていなかったり、自分に自信がなかったりする場合、人はそういった足りない部分を周囲と比較して埋めようとします。「お前より自分の方がすごいんだ」と主張して、自分はまだマシであることを確認したりします。特に、「これだけは負けられない!」と言った具合に、自分が得意としている分野で人が成果を挙げると多くの人は、それを素直に喜ぶことができません。例えば先のテストの話の場合、頭の良い人のほうも、ひょっとすると親からはもっと過剰な期待をかけられていて、現状に不安があるのかもしれませんよね。では、どうしたら良いのでしょう?簡単にどうなる問題ではないのですが、普段の生活の中で「自分が人の幸せを一緒に喜べていない」と言うことがあれば、それを感じ取れるように努力してみてはどうでしょう。自分にそういった感情があることがわかってくると、虚栄心が顔を出してきたときに口に出る前に察することができるようになるはずです。まずは、グッと堪えて口にしないことから始めてみてはいかがでしょうか。
あぽろ 2011-08-16 21:58:07 提供:有限会社辰屋
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