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初めての文学講座 第3回 富岡周辺街歩き 2022年3月リニューアルした商品(かつお粉)

初めての文学講座 第3回 富岡周辺街歩き


横濱金澤シティガイド協会資料より引用
http://yokokanaguide.org/
一部横浜金沢観光協会HPより引用
https://yokohama-kanazawakanko.com/

富岡駅の歴史
現在の京浜急行電鉄の前身、昭和5年 (1930)4月 黄金町~浦賀、
金沢八景~湘南逗子間で開通、当初、7月 に海水浴客用仮駅として開業
初代「湘南富岡」として昭和6年、現在地に開業→昭和20年空襲被害→昭和22年廃止
二代目「湘南富岡」昭和22年、鳥見塚付近で開業→昭和30年廃止(移転)
三代目「湘南富岡」昭和30年、現在地に開業→昭和38年「京浜富岡」→昭和62年「東急富岡」

富岡トンネルの悲劇
昭和20年6月10日、米軍による富岡への空襲があり、湘南富岡駅周辺に目標から大きく外れた
爆弾が落下、民家多数が吹き飛ばされ、富岡駅に停車した、上り下りの2本の電車の乗客をはじめ
多くの人々がトンネル内に避難したが、入口と出口に落とされた爆弾により、多数の犠牲者が出た。
米軍の目標は、横浜海軍航空隊(現第一機動隊周辺)大 日本兵器 (現イトーヨーカドー周辺)など

旧川合玉堂別邸園庭 (二松庵 )
日本画家、川合玉堂が大正6年~9年ごろに建てた別荘・画室で、大きな二本の松の本があつたので
「二松庵」と名づけ、主に夏、冬をここで過ごし、富岡の風景や人々の暮らしを題材とした多くの
名作を描いています(紅 白梅、長閑、紀元節など)
平成17年に、横浜市が取得、主屋、腕木門が横浜市指定有形文化財に指定されました。
平成25年10月 主屋火災により消失→名勝指定に変更

直木三十五文学碑
「芸術は短く、貧乏はながし」字体は直木の遺構から 署名も真筆
昭和35年 大仏次郎の呼びかけで、横浜ペンクラブが中心となって建てられました。

直木二十五邸跡
富岡の地を愛し、昭和8年慶珊寺の裏山に建坪48坪の家を直木本人の設計で建てました。
建物の外壁は黒、洗面所、風呂場のタイル、浴槽もすべてが自と黒、玄関は畳一枚位の入リロ。
窓ガラスはドイツ製の二重ガラスと鉄製サッシ、トイレは水洗だが、電気が定額電灯のため杉田から
電気を引くことになつた。 全体の費用は、約1万3千円 書斎、茶の間、子供部屋、女中部屋

佐藤得二墓所
明治 32年岩手県生、盛岡中学を経て大正 13年東京帝大哲学科卒業 昭和 2年に
朝鮮水原高校・京城帝大教授を歴任。帰京後文部省に入 り、終戦時に文部大臣副1令 を
執筆、我が国の教学の再建に寄与した。戦後は結核を発病し、貧困にも苦しむが
昭和 38年、親類の女性の経験談を元にした初の小説 「女のいくさ」を刊行、
64歳 とい う高齢で直木賞を受賞しました。
平成 10年 に亡くなった妻 「コン」が慶珊寺の住職の奥さんと幼剛1染の親友で、無宗教
とい うことから、納骨の際にご供養のお経をあげた (当 時の住職談)

慶珊寺 「米軍富岡空襲の犠牲者供養塔」
真言宗御室派 開山、伝栄 開基 豊島明重 寛永1年 (1624年)本 尊 大 日如来
山号は、父の法名から 花翁山 寺号は母の法名から 慶珊寺
豊島明重・16歳で家康から富岡の地を与えられる→江戸城内、刃傷事件で断絶する。
寛永5年 (1628年 )日 付豊島明重(49歳 )が 、老中井上正就(ま さなり)を刺殺

Wondershare Filmoraで作成

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たかや   2022-04-29 08:27:17 提供:マルトモ株式会社

企業紹介

マルトモ株式会社

1918年(大正7年)創業。かつお節やめんつゆ、だしの素、チルド商品など、素材にこだわった商品を作っています。
私たちが大事にしてきたこと、そしてこれからも大事にしていきたいことは、「心ふれあう味づくり」。食べた人に感動を与えられ、コミュニケーションのきっかけになるような商品をお届けしていきたいと思います。

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