商品モニター募集・無料サンプル・試供品の情報・口コミが満載!
募集中イベント数33件
当選者数 1,700,628 名
クチコミ総数 17,386,611 件
イベントを探す
イベントを検索
ファンサイトを検索
福太郎さん
食いしん坊な関西人です。飼い猫と同じ顔です(笑)
■ブログ 元気・寿・福 猫 ブログ♪ - Yahoo!ブログ
■Instagram @
すべて | カキコミ | ブログ | 画像 | 動画 | インスタグラム
『食いしん坊』と、辞書でひいてみる 食い意地が張って、むやみと食べたがることまた、そういう人や、そのさま イタタ 私は、 『食いしん坊は得をする』 『美味しいものを食べて、ガハハと笑えることは幸せである』と思っているのだが、 果たしてそれで良いのか?とちょっと調べてみた(笑) まずは、『食べる』ということから 『食べる』ことには4つの機能があるという 1.栄養素を取り、成長と健康を維持する 2.嗜好を充たす 3.身体の機能を高め、正常にする 4.人間同士の交流を広げ、深める ほほほぅ〜〜こうして知ってみると、単に食い意地が張っているだけで 食への欲求が高いわけじゃあないことが自覚できる(はず) つまり食いしん坊は、美味しいものが大好きだから嗜好を充たしたいという欲求が 高いといえるが、人間同士の交流を広げ、深めることもまた『食』への欲求を高めている 重要な要素なのではないだろうか(気持ちだけかもしれないが) 『美味しい』と感じることは、幸福感をもたらす そして、その幸福感を自分以外の人にも知らせたい、感動を共有したい そのように考える 結果、共に食事をしたり、料理を誰かにつくったりするのではないかと さて、『美味しさ』とは、 生理的、遺伝的つまりは生まれつきとして感じる 疲労感や栄養の欠乏により身体が欲求する 情報や知識によって後天的に『美味しい(はず)』と感じたりする と、いうことだ 特に幼児期においては、多様な食べ物を経験させ、それらを楽しく食べさせることに よって、年齢による嗜好の変化があったとしても、年をとってもいつまでも食を楽しむことが 出来るそうだ 好きなものしか食べさせないという教育方針では、その子供は偏食だけでなく、 『食』という楽しみが減り、また上記のような機能を満たせないこととなる 人間の脳は、新しい脳と古い脳で構成されているが、三歳くらいまでは古い脳の動きが主導的で この古い脳というのは、喜怒哀楽の感情やその記憶、それに伴う行動の発現に関与するという 逆に新しい脳というのは高次の認知機能に関わる場所である だから、幼児期までは喜怒哀楽な本能にしたがって生活をするわけだ 味と匂いは、生後すぐに働く原始的な感覚なので、古い脳をつかっていることになる 三歳頃までは何を食べて、それがどういう匂いや味なのかということは思い出としては、 残らないが、繰り返し食べた食物の味や匂いとそのときの感情や行動は無意識に、 古い脳に保持されていくそうだそれが三歳以降に大脳皮質(新しい脳)へ移動し、 長期にわたって保存される (三つ子の魂、百までってことね) つまりは、子供だからって、この程度でみたいな手抜き料理を食べさせてはいけません、って ことになる いや、子供だからこそ、美味しいものを食べさせることが大切だ それが、食いしん坊をつくり、果ては幸せな人生を歩めるのではないかと私は思う しかし、ある年齢からは、食べすぎはご用心であり、 健康のためには適性なスタイルを維持しなければなりません(自爆)ということを 最後の戒めとして肝に銘じつつも、食いしん坊街道をひた走っていく 以上、『食いしん坊のすすめ』 でした ヾ(@>▽ 続きを見る
それは、私がまだ5歳くらい頃 子供同士で「お誕生日会」というのを自宅でし合っていた 私のお誕生日会の朝早くに、母が満面の笑みで「ちょっとこっちおいで!」と呼んだ なんだろうと急いで母の声がする方に行くと、そこには大きな木の長方形の箱があった その上にさらしの布がかけてあり湯気が立っていた 母は嬉しそうにそのさらしを取った 「ほら、お赤飯、市場の御餅屋さんで蒸してもらって今、持って帰ってきたんよ」 子供というものは残酷である 私はそれを見てひとこと言った 「いらん、お赤飯なんかいらんみんな、そんなん食べへん嫌いやそんなん」 その言葉を聞いた母はとても哀しそうな顔をして、それでも負けん気を出していった 「そ、いらないならご近所に配るわもういい」 母は再びさらしの布をその上にかけた 私のお誕生日会も終わり夕焼けが空を染める時刻になった ご近所に住む仲の良いおばさんが来て私に言った 「ね?お母さん、朝、早くから出かけていって、あのお赤飯、自分の手で歩いて持って帰ってきたんよ配達してたら、お友達がくるのに間に合わないからってあれ、すごく重いのにね」 私は泣きそうになった 市場から私の自宅までは早足で歩いても20分はかかる距離だった それをあの80cmくらいはあったかと思うお赤飯がびっしりと入った木の蒸し器を 母は両腕で持って歩いて帰ってきてくれたのだ その夜、私はお赤飯を何杯もおかわりした 母は嬉しそうだった 「ほら、やっぱり美味しいでしょ?お友達にも食べてもらったらよかったのに」 あれから随分と年月が経った 母親というものは、どんなに子供に裏切られたり、辛い思いをさせられても辛抱強く愛情をかけてくれるものだ 私はようやく、そんなことがわかる年齢になった 母は私の中にいつもいる 続きを見る ['close']
<<前の5件 4 5 6 7 8 9 10 11 12