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わっちさんさん
ネイリスト・メイクアップアーチスト・カラーコーディネーターで会社役員(サロン経営)です。こちらは趣味のブログですが、サロンのブログもございます。
■ブログ 北海道発・わっちさんの宝塚な日々
■Instagram @watsuchisan5674
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帰りのタクシーで運転手さんが「去年のだけどあげるね」とくださったシール観に行けませんが、星組の「ロミオとジュリエット」のポスター、きれいですねミニエッセー1375「新生活1カ月」がらりと変わった私の毎日サラリーマン生活でなくなって1カ月の感想みたいなものを述べたいとにかく、まだ生活リズムに慣れないというか、リズムと言えるようなものがない生活だもともと環境適応能力がない私努力して乗り越えなければ適応できないタイプだ子供のころの転校生活も、恋人とお別れしても(苦笑)、結婚しても、職場で部署が変わっても、とにかく慣れるまでに時間がかかってきたやっぱり仕事生活が変わっても1カ月くらいでは慣れず、自由な時間も多いのになかなか「あれもやりたい」「これもやりたい」というものに着手できずにいるただ、今まではそれができないからと、ものすごくあせる傾向にあったどうしても目標を達成しなければ気が済まず、達成しなかったら激しい自己嫌悪に陥っていたしかし、そんなんじゃ精神的にも肉体的にも参ってしまうと気付き、思い通りにいかないときも自分に「あせるな、あせるな」と言い聞かせている重い風邪やリウマチで長く臥せたこともあり、いつもは「限りある時間がもったいない」と、何かしら「行動」ばかりしていた私が、動いては治らないなと、1日じゅう体の要求に応じて寝ていたり、ただ考え事にふけるといった、今まではなかった「自分と向き合う長い時間」が、このひと月多かった「明るく前向きに」が信条の私だが、さすがに後ろ向きにもなるちょうど、「25年を振り返って」シリーズをアップしたこともあり、あらためて自分で読んで後悔や反省や昔の痛みを思い出して「あのときこうすればよかった」「ああ言えばよかった」と沈んだり、「仕方ないよな」とあきらめたり、心はずいぶん忙しかっただが、振り返っていろいろなことを感じられる日々―さまざまな経験を持っているということは、幸せなことだなとあらためて感じたそこからまた新たに発見することもあるし、反面教師として勉強になることもあるし、サロンの特に若いお客様と恋や仕事の話をするときに、アドバイスもできるそれから、自分にはまだまだかなえたい夢がたくさんあるなとあらためて夢にどん欲な自分に気付いた仕事上のことはもちろん、趣味の上でも、日常生活でも夢はかなえるためにあるとは思いつつも、私が夢見ることの中には、自分の努力次第でどうにかなるというものではないものもあり、「どう考えても到底無理だろうな」というのも含まれているだが、人生は分からない明日は分からない雲をつかむような話でも、かなわないとも限らないそんな夢でも捨てないでいたいなと思っている次はそろそろ新しい生活に慣れ、面白い毎日と言えるようになったころ、また報告したい↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
芝の美しさに目がくらくらしかし、試合についてはテレビみたいに解説がないとよく分からないわっちさん弟にいちいち「ねえ、今、どうなった?」―やな客これでも軟式野球部のマネージャーだったんだからね先月、神社に行っておみくじを引いたら、「小吉」ちょうどええか以前札幌よしもとにいたお笑いコンビ2丁拳銃さんのネタ「ちょうどええ」、結構好きです<サロンのブログ更新しました>お客様ネイル(かわいい系ガールズネイル)を掲載→ネイルセラピーサロンStageミニエッセー1372「1000回記念27百年への道を観て②」そして、初風さんがホスト役でトークコーナーに出ていらした「白ばらの君」春日野先生もちろん、ずっと座っていらしたが、白い衣装でサングラスをおかけになり、男役らしくりんとしたただずまいは相変わらずしっかりした口調で感動したしかも、ユーモアがおありになるタカラジェンヌは、頭の回転が速い人が多いが、ご高齢にもかかわらず、返しもうまくてなんだか涙が出そうに往年のファンはさぞかしうれしかったことだろう特に、スミレコード無視の「(娘役をストーリー上)犯しちゃって」「10代からタバコを吸っていた」発言には大爆笑した先生がおっしゃると、少しもいやらしくないのがすごい初風さんがしきりに「先生すてき」と言っていたが、本当に素敵だ先生がおっしゃっていた今の生徒に言いたいこと「品格を忘れるな」は、タカラジェンヌだけではなく、われわれにも大事なことだその後のコーナーでもみんなが「品格」を連呼していたが、何につけても必要だ宝塚の最古参現役生徒であり、理事であり、たくさんの勲章を持ち、宝塚市の名誉市民でもある春日野先生独身しかいられない宝塚では、結婚もされず、人生を宝塚に捧げていて、敬服するばかりだもし、もう舞台でお目にかかれなくても、どうか健康に留意されて、ずっとずっと長生きしていただきたいさて、あと4年したら、宝塚は100周年となるものすごい記念イヤーきっと、記念公演、イベントが目白押しだろうわれわれファンも「100年貯金」が必要だそのころはもう、現在活躍しているトップスターたちも全員が残っているということはありえなく、次の世代の生徒たちが牽引役になっているはずひょっとしたら大抜擢もあるかもしれないが、順当なら今の各組の2、あるいは3番手当たりかと思うしかしどうだろう今回、OGゲストに来た方々だけを見ても分かるように、その生徒の持つ雰囲気、人となりが時代によってだんだんと小粒化していることは明らかである今のスターたちは、姿かたちはしゅっとしていて、それなりに実力も人気もあるが、春日野先生をはじめ、汀さんや鳳さん、榛名さんのような「どうだ」というような迫力、スケールの大きさ、大らかさがなかなかないこの不景気の世の中で、スターシステムを取っている限りは宝塚の顔となる魅力的なスターの存在、そして、ヒット作の誕生こそが観客動員につながる確かな百年への道であろう↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る
せっかく早く着いたのに発券機械故障でこのありさま私は2回表に入れましたが、最後のお客さんは果たして引き換え式はあかんですねこの1週間後からわっちは長い間、重い風邪に苦しむことに熱にうなされ寝言ばかり言ってました元の職場では席で足を組んでいたこともあり、整体に行くと毎回骨盤のゆがみを指摘されていました左右の足の長さに差ができ、腰痛や背痛や肩こりの要因に今年2月3月はぎっくり腰でも悩みましたそこで試しに、先月から「骨盤ベルト」をして生活していますなんとなく調子がいいようなミニエッセー1370「1000回記念27百年への道を観て①」この章の冒頭を借りて、今月1日に逝去された小林公平元宝塚歌劇団理事長に哀悼の意を表します笑顔が印象的でした何度か劇場でお見掛けしたこと、ホテル阪急インターナショナルのレストランで席が隣だったことを思い出します宝塚の百年、二百年への道を見守って下さることでしょうスカステで、昨年上演された特別イベント『百年への道』を観た宝塚は昨年95周年で、また専門雑誌『歌劇』が1000号になったことを記念した現役生OGによる歌とトークの催し生では観れなかったので、スカステでの放送を楽しみにしていた近年にはまれなことに、轟さんと5組のトップスターがそろうということ、そして、もちろんOGゲストに愛してやまないマミさんこと真琴つばささんが出演したこと、それから私が注目したことは、ご高齢の春日野八千代先生のご様子だった私が春日野先生を生の舞台で拝見してからしばらく経つので、お元気なのかどうか気になったこれはもう1年近く前の舞台だが現役生徒のコーナーは、いつもどおりのオーソドックスな構成だが、組を超えてここまでそろうとやっぱり圧巻で、どこを見てもスターだらけでわくわくしたまだ大和さんや瀬奈さんがいるというのが、なんとも「胸キュン」だった瀬奈さんのビルとまとぶんビルの登場も面白かったもう何度もこういう場に呼ばれているマミさん全部ではないが、やはり仕切り役もやって、わが同期はさすがだった昨年、マミさんのFCイベントで、このときの楽屋での写真を見せてもらったり、裏話を聞かせてもらっていたので、実際に舞台を観て、なんだか思い出してほほえましかったそれにしても、音楽学校の講師であるシメさんこと紫苑さんは、なんで退団してこんなにたってもスタイル維持で、歳も感じず、かっこいいのだろう現役中はマミさんと話したことがないというのは意外だったまあ、考えてみると一世代違うし、シメさんはかなり上級生なので、当然なのだがそれから、いつものことながら鳳蘭さんも太陽のようで素敵だ昨年、マミさんと共演したことが思い出されるまた、初代マリーアントワネット初風諄さんの歌声も素晴らしかった姿月あさとさん、湖月わたるさん、朝海ひかるさん―いずれも今歌手女優として頑張っている面々で喜ばしいああ、この場に春野さんもいたらなとぜいたくなことを想像した(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
オープン日のサロン玄関前感謝の一言ですバイオリニストのNAOTOさん(スープカレー協会理事なので北海道に縁が理事会発足ニュースに映っていました)って、8月15日生まれで、幹ちゃんこと石丸幹二さんと同じ!!やっぱり獅子座なんだ私の好きな人って私のいて座と相性ぴったりの獅子座牡羊座いて座が多いんですミニエッセー1367「25年を振り返って⑬」私は中学生くらいのとき、「将来はジャーナリストになりたい」と作文に書いていたそれがまさか大学職員になってからかなうことになろうとは、思いも寄らなかったそれを思うと、ジャンルは全くやりたかったものとは違うものの、「表現」が仕事で、幸せな7年だった記者業だけではなく、校正を含む編集、好きなカラーコーディネートも生きた誌面デザイン、イラスト描き、カメラマンも経験し、本当に勉強になったそして一番幸せだったことは、取材や原稿依頼などを通して多くの人と接したことで、本当の自分に気付くことができたことである私は、自分の人見知りなところが大嫌いだったすぐに誰とでも心に垣根を作らずに仲良くできる人がうらやましかったどうしても照れくさくて誰ともまずは距離を置く自分が、なんだか気取っているようで嫌だった常に心によろいを着ている同時に人に干渉されることも嫌土足で心に入ってくる人は特に嫌親友でもないのに打ち解けられないだから、他人に対しても、簡単には心の垣根を越えないできるだけ自分ひとりでする仕事のほうがいいとにかく、知らない人とかかわるのはあまり好きではなかったところが、周囲からは、一度も私がそんな人物だととらえられたことはない確かに、わーわーとすぐに打ち解けることはないかもしれないが、それは人見知りなわけでも、人嫌いなわけでもなく、ちょっとだけ様子を見てからドアを開け、ちょっとたってから中に入っているだけで、本当の人見知りではない第一、本当に人見知りの人が、インタビューしてうまく話を引き出し、最後には取材先の人と友達になって帰ってくる、お土産をいただいてくる、記事にしたことを喜んでくれるなんて、ありえないからと、笑われたそうか、私は「関係がうまくいくか」と怖がりなだけで、決して人見知りではないんだそういうばいつしか私は、行った先々での出会いすべてが、いい出会いと感じていたし、会えて良かったと最後には皆さんと堅く握手して帰ってきていたではないかそのことに気付いたとき、私は人を相手にした仕事ができる人間と自分を位置付けられたそれまでは、そんな仕事は絶対無理と決め付けていた新しい道へ踏み出すべくして行った運命の部署だったと思っている(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
ホテルでちょっとした死角―隅があると必ずそこに隠れてみたくなるのわっちだけ?松与【VITA】ファンサイトファンサイト応援中ところで、この歳(45)にしては肌の状態はいい方かもと思っているのですが、よく「基礎化粧品は何を使っていますか」というご質問をいただきます私は姉妹店「ヒーリングサロン咲」で販売している殺菌効果も期待できる北海道産クマイ笹を使用したOreRubyというシリーズを使っていますシャンプーリンスも!<松与VITA>モニター当選した黒い洗顔せっけん、およそ一週間使ってみました匂いが素敵じゃなかったのが残念ですが、汚れ落ち度はばっちりでした<サロンのブログ更新しました>月別のおすすめカラーを掲載しました→ネイルセラピーサロンStageミニエッセー1358「25年を振り返って④」しかし、社会人一年生の私は人一倍責任感が強く、職場に行ったら泣いてもいられないし、声が出ないでは許されないと思い、必死に言葉を、そして声の出し方を思い出そうと努力した当時はまだ電車通勤で、駅から歩いて広いキャンパスを突っ切り、やっと事務所に着くという状態だったため、早く出勤してそれまでの間に涙を拭き、化粧を直し、何ごともなかったかのように仕事に集中した電話が多い部署でもあり、職場では必要なことはなんとかしゃべれるようになった仕事に集中するしか、「自分」を保つ術がなかったのである何日もそんな日が続いて、周囲にはどれだけ仕事が好きな子なのかと映ったようだ残業は喜んでしたみんな、私の仕事ぶりをほめてくれた実際に仕事は当然初めてのことばかりで新鮮だし、必死に取り組んだけれども、仕事が終わり、一歩外に出るとまた、自業自得ながら失ってしまった愛を思い出し、「今ごろ、彼と彼女は二人でいるのだろうでも、私は世界でたった一人だ」という孤独が襲い、かといって何も語らない私を心配する家族に顔を合わせたくないのでまっすぐ家に帰りたくない気持になり、多いくらいの給料も手にし、友人や先輩や同期など、誰にでも誘われるままによくすすきのに繰り出したただ、現実から逃げたかった当時は大型ディスコブームで、よく行って踊り続けた(ただ踊っていれば、何も話さなくて済んだ)し、本当はまったく飲めない肝臓なのに、吐いて倒れるほどお酒も飲んだし、いつしか煙草も吸っていた自暴自棄になって、相当ばかな女になりかけていた私には、職場以外、本当の行き場がどこにもなくなっていた「もうどうなってもいい」という私に、中学の同窓会で会った短大も一緒だった友人たちが「そんなことではいけない」と忠告してくれた彼女たちは寂しがり屋な私の本質とどれだけ彼が好きだったかを知っていて、私に「早く新しい恋人を作ったほうがいい誰かそばにいてちゃんを見ててくれないと、私たち、心配で心配で」と嘆いたその気持を分かりながら、なかなか現実逃避の生活から抜け出せないでいたそれに気付いて私を支えてくれたのが、「ラストデー」の章で述べた同期の兄のような彼だった彼は「元気を出せもう泣くな」とよくコンサートやドライブや食事に誘ってくれたけれども、立ち直るどころか、だんだん悪い方向へ行く私を見かねて、ある日、その彼は仕事帰りに駅で煙草を吸いながら死んだ魚のような目をして、ただぼっーと電車を待っていた私をつかまえ、人前にも関わらず、思いっきり私の頭を殴ったのである当時はまだ携帯電話がない時代私が何をしでかすか心配した彼は、仕事を終え、わざわざ探して駅の中まで来てくれた彼は私を自分の車に乗せ、「お前、死にたいのか!!そんなちゃん、もう見たくない嫌いだ」と目に涙をためて叱ってくれたそれを見て、私はやっと煙草をやめ、少しずつ顔を上げ始めた(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
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