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わっちさんさん
ネイリスト・メイクアップアーチスト・カラーコーディネーターで会社役員(サロン経営)です。こちらは趣味のブログですが、サロンのブログもございます。
■ブログ 北海道発・わっちさんの宝塚な日々
■Instagram @watsuchisan5674
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せっかく早く着いたのに発券機械故障でこのありさま私は2回表に入れましたが、最後のお客さんは果たして引き換え式はあかんですねこの1週間後からわっちは長い間、重い風邪に苦しむことに熱にうなされ寝言ばかり言ってました元の職場では席で足を組んでいたこともあり、整体に行くと毎回骨盤のゆがみを指摘されていました左右の足の長さに差ができ、腰痛や背痛や肩こりの要因に今年2月3月はぎっくり腰でも悩みましたそこで試しに、先月から「骨盤ベルト」をして生活していますなんとなく調子がいいようなミニエッセー1370「1000回記念27百年への道を観て①」この章の冒頭を借りて、今月1日に逝去された小林公平元宝塚歌劇団理事長に哀悼の意を表します笑顔が印象的でした何度か劇場でお見掛けしたこと、ホテル阪急インターナショナルのレストランで席が隣だったことを思い出します宝塚の百年、二百年への道を見守って下さることでしょうスカステで、昨年上演された特別イベント『百年への道』を観た宝塚は昨年95周年で、また専門雑誌『歌劇』が1000号になったことを記念した現役生OGによる歌とトークの催し生では観れなかったので、スカステでの放送を楽しみにしていた近年にはまれなことに、轟さんと5組のトップスターがそろうということ、そして、もちろんOGゲストに愛してやまないマミさんこと真琴つばささんが出演したこと、それから私が注目したことは、ご高齢の春日野八千代先生のご様子だった私が春日野先生を生の舞台で拝見してからしばらく経つので、お元気なのかどうか気になったこれはもう1年近く前の舞台だが現役生徒のコーナーは、いつもどおりのオーソドックスな構成だが、組を超えてここまでそろうとやっぱり圧巻で、どこを見てもスターだらけでわくわくしたまだ大和さんや瀬奈さんがいるというのが、なんとも「胸キュン」だった瀬奈さんのビルとまとぶんビルの登場も面白かったもう何度もこういう場に呼ばれているマミさん全部ではないが、やはり仕切り役もやって、わが同期はさすがだった昨年、マミさんのFCイベントで、このときの楽屋での写真を見せてもらったり、裏話を聞かせてもらっていたので、実際に舞台を観て、なんだか思い出してほほえましかったそれにしても、音楽学校の講師であるシメさんこと紫苑さんは、なんで退団してこんなにたってもスタイル維持で、歳も感じず、かっこいいのだろう現役中はマミさんと話したことがないというのは意外だったまあ、考えてみると一世代違うし、シメさんはかなり上級生なので、当然なのだがそれから、いつものことながら鳳蘭さんも太陽のようで素敵だ昨年、マミさんと共演したことが思い出されるまた、初代マリーアントワネット初風諄さんの歌声も素晴らしかった姿月あさとさん、湖月わたるさん、朝海ひかるさん―いずれも今歌手女優として頑張っている面々で喜ばしいああ、この場に春野さんもいたらなとぜいたくなことを想像した(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
オープン日のサロン玄関前感謝の一言ですバイオリニストのNAOTOさん(スープカレー協会理事なので北海道に縁が理事会発足ニュースに映っていました)って、8月15日生まれで、幹ちゃんこと石丸幹二さんと同じ!!やっぱり獅子座なんだ私の好きな人って私のいて座と相性ぴったりの獅子座牡羊座いて座が多いんですミニエッセー1367「25年を振り返って⑬」私は中学生くらいのとき、「将来はジャーナリストになりたい」と作文に書いていたそれがまさか大学職員になってからかなうことになろうとは、思いも寄らなかったそれを思うと、ジャンルは全くやりたかったものとは違うものの、「表現」が仕事で、幸せな7年だった記者業だけではなく、校正を含む編集、好きなカラーコーディネートも生きた誌面デザイン、イラスト描き、カメラマンも経験し、本当に勉強になったそして一番幸せだったことは、取材や原稿依頼などを通して多くの人と接したことで、本当の自分に気付くことができたことである私は、自分の人見知りなところが大嫌いだったすぐに誰とでも心に垣根を作らずに仲良くできる人がうらやましかったどうしても照れくさくて誰ともまずは距離を置く自分が、なんだか気取っているようで嫌だった常に心によろいを着ている同時に人に干渉されることも嫌土足で心に入ってくる人は特に嫌親友でもないのに打ち解けられないだから、他人に対しても、簡単には心の垣根を越えないできるだけ自分ひとりでする仕事のほうがいいとにかく、知らない人とかかわるのはあまり好きではなかったところが、周囲からは、一度も私がそんな人物だととらえられたことはない確かに、わーわーとすぐに打ち解けることはないかもしれないが、それは人見知りなわけでも、人嫌いなわけでもなく、ちょっとだけ様子を見てからドアを開け、ちょっとたってから中に入っているだけで、本当の人見知りではない第一、本当に人見知りの人が、インタビューしてうまく話を引き出し、最後には取材先の人と友達になって帰ってくる、お土産をいただいてくる、記事にしたことを喜んでくれるなんて、ありえないからと、笑われたそうか、私は「関係がうまくいくか」と怖がりなだけで、決して人見知りではないんだそういうばいつしか私は、行った先々での出会いすべてが、いい出会いと感じていたし、会えて良かったと最後には皆さんと堅く握手して帰ってきていたではないかそのことに気付いたとき、私は人を相手にした仕事ができる人間と自分を位置付けられたそれまでは、そんな仕事は絶対無理と決め付けていた新しい道へ踏み出すべくして行った運命の部署だったと思っている(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
ホテルでちょっとした死角―隅があると必ずそこに隠れてみたくなるのわっちだけ?松与【VITA】ファンサイトファンサイト応援中ところで、この歳(45)にしては肌の状態はいい方かもと思っているのですが、よく「基礎化粧品は何を使っていますか」というご質問をいただきます私は姉妹店「ヒーリングサロン咲」で販売している殺菌効果も期待できる北海道産クマイ笹を使用したOreRubyというシリーズを使っていますシャンプーリンスも!<松与VITA>モニター当選した黒い洗顔せっけん、およそ一週間使ってみました匂いが素敵じゃなかったのが残念ですが、汚れ落ち度はばっちりでした<サロンのブログ更新しました>月別のおすすめカラーを掲載しました→ネイルセラピーサロンStageミニエッセー1358「25年を振り返って④」しかし、社会人一年生の私は人一倍責任感が強く、職場に行ったら泣いてもいられないし、声が出ないでは許されないと思い、必死に言葉を、そして声の出し方を思い出そうと努力した当時はまだ電車通勤で、駅から歩いて広いキャンパスを突っ切り、やっと事務所に着くという状態だったため、早く出勤してそれまでの間に涙を拭き、化粧を直し、何ごともなかったかのように仕事に集中した電話が多い部署でもあり、職場では必要なことはなんとかしゃべれるようになった仕事に集中するしか、「自分」を保つ術がなかったのである何日もそんな日が続いて、周囲にはどれだけ仕事が好きな子なのかと映ったようだ残業は喜んでしたみんな、私の仕事ぶりをほめてくれた実際に仕事は当然初めてのことばかりで新鮮だし、必死に取り組んだけれども、仕事が終わり、一歩外に出るとまた、自業自得ながら失ってしまった愛を思い出し、「今ごろ、彼と彼女は二人でいるのだろうでも、私は世界でたった一人だ」という孤独が襲い、かといって何も語らない私を心配する家族に顔を合わせたくないのでまっすぐ家に帰りたくない気持になり、多いくらいの給料も手にし、友人や先輩や同期など、誰にでも誘われるままによくすすきのに繰り出したただ、現実から逃げたかった当時は大型ディスコブームで、よく行って踊り続けた(ただ踊っていれば、何も話さなくて済んだ)し、本当はまったく飲めない肝臓なのに、吐いて倒れるほどお酒も飲んだし、いつしか煙草も吸っていた自暴自棄になって、相当ばかな女になりかけていた私には、職場以外、本当の行き場がどこにもなくなっていた「もうどうなってもいい」という私に、中学の同窓会で会った短大も一緒だった友人たちが「そんなことではいけない」と忠告してくれた彼女たちは寂しがり屋な私の本質とどれだけ彼が好きだったかを知っていて、私に「早く新しい恋人を作ったほうがいい誰かそばにいてちゃんを見ててくれないと、私たち、心配で心配で」と嘆いたその気持を分かりながら、なかなか現実逃避の生活から抜け出せないでいたそれに気付いて私を支えてくれたのが、「ラストデー」の章で述べた同期の兄のような彼だった彼は「元気を出せもう泣くな」とよくコンサートやドライブや食事に誘ってくれたけれども、立ち直るどころか、だんだん悪い方向へ行く私を見かねて、ある日、その彼は仕事帰りに駅で煙草を吸いながら死んだ魚のような目をして、ただぼっーと電車を待っていた私をつかまえ、人前にも関わらず、思いっきり私の頭を殴ったのである当時はまだ携帯電話がない時代私が何をしでかすか心配した彼は、仕事を終え、わざわざ探して駅の中まで来てくれた彼は私を自分の車に乗せ、「お前、死にたいのか!!そんなちゃん、もう見たくない嫌いだ」と目に涙をためて叱ってくれたそれを見て、私はやっと煙草をやめ、少しずつ顔を上げ始めた(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
いただいた東京會舘のおいしいお菓子ふぇーん楽しみにしていたのに、今年のEXILEツアー、北海道はないとは<ピュアボンボンマニキュア>当選品が届きぺディキュアとして使いました中身と、実際のぬった写真などは後日詳しく掲載しますなかなか良い発色でした株式会社エリザベスのファンサイトファンサイト応援中姉妹店わんこのきもちで「わんにゃんそっくりフィギア」「動物用プリザーブドフラワー」の販売を開始いたしましたプレゼントにも最適ですぜひ、のぞいてみてください→わんこのきもちHP→わんこのきもち社長日記ミニエッセー1356「25年を振り返って②」そのとんでもない行為(25年前のことであり、許している)によって、私は手に、その男性が持っていた煙草の火で火傷を負ったが、その痛みさえ感じないくらい、すぐには立ち上がれないくらいショックを受けたなんとか騒ぎがおさまり送別会が終了し、タクシーで帰ろうとした私を煙草の彼が、なおも追い掛けてきた一瞬、彼はあらためて謝りたいのかなと思ったが、そのとき、もう一方の男性が私をかばうように立ちはだかり、私をタクシーに乗せて自分も乗り、運転手さんに「早く出して!」と叫んだ煙草の彼が、タクシーに追いすがっているのが見えて、とても怖かった私は、魂も力も抜けてしまった「あいつ、焼きを入れたのに、どうしても君をあきらめられないらしい今、自宅に帰ったら(来るかもしれないから)危ないよ俺が守ってやる」―その男性は自分の部屋で、私の火傷を手当てしてくれた水ぶくれはだんだんひどくなり、「かわいそうにあいつ、ほんと許せない」と何度もつぶやいたそして、煙草の彼がその部屋まで来ないか何度も確認してくれた普段から、優しいお兄さんではあったが、その夜私には信頼できるヒーローに映り、前々からの彼の熱心な想いに応えたが、やがてその人への感情が、ただそのときだけ、恐怖からの逃げ場として頼っただけで、愛でも恋でもないと気付き、自分のおろかさに愕然とした恋人だった彼と私を応援してくれていた高校のある先生は、高校を卒業するときにまるでその後の二人の運命を知っていたかのように、「できればお前たちは同じ大学に行くべきだと思っていたんだが」と言った今なら、その先生がなぜ、離れてはいけないと言ったのかよく理解できる彼と私はしたい勉強もアルバイト先も違っていたたとえ、そうであっても、未熟な私は二人の愛の不変を信じていたしかし、若さが残酷であることを人生の大先輩はお見通しだったのだろうつらかった日と書いたが、その日を生み出すきっかけは自ら決心して切り出した恋愛においてどちらが悪いという話をするべきではないが、私がばかだったのだから、けじめをつけなければとたった一度であっても血迷い、かつて自分があれだけ悲しんだというのに、今度は大切な人を深く傷つけ、苦しめる側になった私を神は許してくださるはずがないといや最も自分自身が許せなかった詳しくは書けないが、そのころほかのある出来事で大きな喪失感にさいなまれていた彼の今後のためにも、はっきりさせたほうがいいと決断した彼には、行くところがあることも知っていたもちろん、行ってほしいとはみじんも思っていなかったが「許してもらおう」という気持ちは全くなかったけれども、本当におろかながら心の奥で、彼が最後には彼女ではなく、私を選んでくれると賭けていた何という傲慢さだろう恥ずかしい限りだ私は言い訳はしなかった事実、言い訳なんかなかった送別会での事は一切言わなかったまだセクハラという言葉もない時代だったが、彼がさらに悲しみ、憎しみを生むだけだと思ったし、巻き込みたくなかった私も早く忘れたかった彼は、ある出来事から私に何かが起きたことに気付いていたのに、決して私を追及しなかった打ち明けても責めも怒りもせずに、「少し考えさせてほしい」と言ったそして、私がヒーローと勘違いした男性と話し合いたいとも言ったけれども、私はそのとき既にその男性とは一切連絡も接触もしておらず、断ったそして、とうとうその日が来てしまった(続く)↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
わっちが考案した食パンにとけるチーズと人気で品薄の桃屋の辛そうで辛くないちょっと辛い食べるラー油(これはちと乗せすぎ)を乗せてチンしたもの月組のスカピンは東京楽近くに2回行きますチケットは、一つは友会で当たり、一つはサイトで買いました歌に感動して涙が出ちゃう作品今からうるうるですミニエッセー1354「わっちさんのラストデー③」夕方になり、また職場のある町へ行き、今度は送別会で部署のみんなと顔を合わせた私のほかにもう一人退職する方とともに主役ということに忙しい年度末の最後で、申し訳ない気持でいっぱいだったおいしい料理をいただきながら、全員がスピーチしたのだが、一番初めにスピーチをさせられたスピーチでは、本当はもっと話したいことがあったが、なるべく簡潔にと思い、本当にさっと感謝を述べたタカラジェンヌがみんな立派なあいさつをして退団していくようにはいかなかったが、長年一緒にやってきた仲間たちだから、胸中は分かっていただけたことだろうそれから、残るみんなからも一言ずつ、思い出だったり、今までの思いを述べていただき、ありがたくて、うれしかった多くのみなさんが私に対し、「美しさ」「華やかさ」「明るさ」「癒された」という言葉を口にしてくださったそれは私が、明日から語る悲しい出来事からスタートした25年間を乗り切るために、自分自身に対し、そして周囲に対して心掛けてきたことだったので、ああ、それを実際にやってこれたんだなと感じられる結果になったとにかく、人との出会いは財産である最後の日もそれを実感した1日になった会が終了すると、退職するもう一人の方と私とが出口に立ち、会場を出るみんなと一人ひとり握手してお別れすることに自然とそんな形になったそれまで、必死にこらえてきたが、大好きだった仲間たちと明日から会わないんだなと思うととうとう我慢しきれなくなり、最初の一人目からもう涙がだーだーとこぼれてきて、別れの言葉も涙声になってしまったでも、泣き虫な自分としては、それまでよく耐えてきたなと思うくらいだったそこでは、スピーチで言えなかったことが一人ひとりに言えて、胸のつかえが取れたこれからもう二度と会えないということはないのだが、寂しさは大きかった最後の最後に、駐車場(私はお酒は全く飲んでいない)に最も若い後輩が駆けつけてくれ、プレゼントを渡してくれたそのとたん、彼女が大きな涙をぽろぽろとこぼし、「本当に寂しい」となかなか泣き止まず、抱き合って私も泣けてきた後輩はみんなかわいい妹のような存在だったが、大変なこともある中で一生懸命頑張っている彼女も本当にかわいい一人で、私があだ名をつけた思い出もあるわがサロンのお客様でもあり、今後も会えるのだが、彼女の涙と言葉はありがたく、何よりの勲章に思えた帰りにまた花を預けに実家に寄ると、父が「おね(えちゃんの略)、本当にお疲れさまだったな」と言ってくれたいろいろな思いがうずまき、帰宅後も一人で泣いた幸せなラストデーだった↓1000回を超えましたランキングでの応援もよろしくお願いいたします 続きを見る ['close']
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