ある年の冬が来る前に私はベラルーシを旅してポーランドに戻ってきた当時、ベラルーシとポーランドの国境近くにいたベラルーシ側のブレストという大きな町にいて、ベラルーシ人の友達の家を出て、一人荷物を背負い夜のバスステーションに向かったポーランド行きのものは遅かったので、喫茶店とかに立ち寄り、適当に時間を潰していたそして愈々となってバス乗り場に行くと、ベラルーシ特有のミニバンがあり、どうやらそれがポーランドに行くらしかった運転手にこれポーランド行き?と尋ねたら、そうだというので首都のワルシャワに行くので宜しくと言っていち早く乗車したそしてすぐ出発時間が経ち、その日の乗客が集まり出発したしかもたったの五人足らずで!そして出発して、早速、国境があり、まず手強いベラルーシの出国審査が始まった私だけ観光客で外国人で、日本人で滅多に見かけないから、かなり尋問されただけどどこか明るかっただから私はベラルーシは良かったです、ミール城とか素敵な所が沢山あってまた来たいです!なんてちょっとオーバーだけど言ってしまうほどだった通常、旧ソ連の国は暗いので、てっきり何か調査に来たスパイみたいに思われるのかな?と冷や冷やしたけど、係員はただ私のパスポートを別室に持っていって暫くその場に立たせるだけで、あとは明るくHave a nice tripと快く見送ってくれたそして他の乗客とかを待たせてたので慌ててミニバンと所へ向かい、ベラルーシを出てポーランドに入国したポーランド側はそんなに手間も掛からず、すんなり入国手続きも出来てそのまま再びミニバンに乗り込み、ワルシャワに向かったこの時既に十二時を過ぎた真夜中でもう起きてなくてはいけない状況もないので、私たち乗客はすっかり眠り込んだそして暗い中、ワルシャワに着いたそうまだ真夜中で夜明けがこれからやってくるときに着いたらしいでも私たちはずっとミニバンの中にいて、明るくなるのを寝ながら待っていた外は真っ暗だし、寒いし、安全ではないので、ずっと車内にいるのが無難で運転手も眠り込んでいたかえってこの方がこの時よかったとんでもない運転手だと、目的地に着いたらとっとと乗客を降ろして何処かへ行ってしまうので、これだったら私はあの治安が安全でないワルシャワの町でどうしていただろうと考えるとぞっとする私は予め、バスが止まる所をリサーチしてたので、ここはバスステーションですよね?球場のある方ですか?と聞いたこの町には主に二つのバスステーションがあり、ひとつは球場があり、川が近くにあるのを聞いていたので、私は球場が近くにある町の中心寄りの方に着いたことが判明し、中心地にあるワルシャワの観光局に地図とか情報がほしかったので行きたいとまず思い行ってみたするといろいろ情報が入り、以前から行きたかったポーランド出身のショパンの家が郊外にあるというので、行き方とか詳細が書いてある冊子を頂き、目を通すと何とそのショパンの家、今日行けば無料であることが分かった何といういいタイミングか、願ったり叶ったりでその場から市営バスに乗り、また別のバスステーションに向かったショパンの家に行くにはそこから発着するバスに乗らないといけないので慌ててそこに着くて切符を買おうとすると切符売り場の女性が今出るからすぐ行きなさい!切符はバスの中で帰るから!と言うのでまたまた慌てるショパン、ショパンと叫んでたらあれだよ!と見ると私がショパンの家に行きたいのをもう既に分かっていたのか、バスが出る一歩手前だったので、最後尾の乗客として飛び乗り乗車券を手にし、ショパンの家がある郊外の村に向かった一時間以上かかり、もうそろそろと思い、目を凝らしてみてるとパンフレットとかで見たかな?と思われる風景が見えてきた一緒に乗ってた人もここだよ世教えてくれてバスを降りたそして閑静な中にあるショパンの家の敷地に向かい、入り口に入りこよなく思い続けてきたショパンの家に辿りついたこの日は晴天でお家がまた綺麗に見えたそして家の中に入り一応その日は無料だったが入場券を頂き、ショパンゆかりのものをあれこれ見ながら、ショパンの面影を辿ったショパンの数々の名曲を思い出して、ショパンの世界のどっぷり浸かったそしてショパンに纏わる一昔前に世界中で流行った名曲雨音はショパンの調べも頭の中で奏でて、当時雨が外で降ってもいないのに、雨が降ってる感じで窓越しから外を見たりして、まさにI like Chopinを気取ってショパンの家の中をまるでショパンといるような錯覚も感じながら歩き回ったそんなに大きな家ではないけれど、確かにショパンがここに居たんだと思うと大変感激してしまうそして漸く見学を終え、外に出て、ショパンの像に語り掛け、この日ここに来れたことを感謝したそれから庭に出て、当時ショパンもよく散歩していた大きな庭を隅から隅まで歩いたショパンが憩いの場にしていた大きな池に佇むと今にもショパンが現れそうな雰囲気だった静かなこの落ち着いた様子がショパンの作品にいい影響を与えていたんだと実感したそしてショパンの家の観光を終えてバスストップに向かってバスを待ったところがバスは暫く来ないことが分かり当惑した実は当時、ワルシャワでお世話になる方と待ち合わせをしていて昼下がりには着くからと伝えていたからだそこで困り果てた私は無謀にもヒッチハイクする事となったしかもポーランドで!これはかなり危険なことだったポーランドは他の欧米の国より貧しいので治安も悪く、旅行者もかなり被害に遭っていて、実は私も以前ポーランドで苦い経験をしたことがあるので、躊躇ったけれど、自分を待ってる人がいると忍びないので、勇気を出して、その近くでヒッチハイクを始めたすると早速止まってくれた私のただならぬ様子に気づいたらしく、車を止めてくれた乗車してたのは英語の話せる人で、感じのいい二人の男性だった運転してた彼が私に好意を持ってくれて、いろいろ話しかけてくれた私もいろいろ話し、早くワルシャワに戻りたい!友達が待ってるから!とか伝えた彼は弁護士で友達と共に休暇で来ていたところが彼らは他の方との待ち合わせを近くでしていたので、私にいち早くワルシャワに戻れる方法を考えてくれたそこで私に近くの鉄道駅からワルシャワの中心の駅に向かえばいいよと伝授してくれて、わざわざ急いでいるのにもかかわらず私をその近くの駅まで送ってくれた親切だったポーランド語が分からない私の為に列車の時刻や到着予定時間、切符の購入のサポートをしてくれた当時私の傍にいた叔母さんもワルシャワに行くもんだから、私を頼むと言ったらしく、何から何まで至れり尽くせりだった別れ際に名刺も呉れて、私は彼らと分かれたそしてその叔母さんと共に列車に乗り込み、一時間掛けてワルシャワに到着した私は一足先に中心地の駅で降りるので、それよりも先に行く叔母さんとはそこで別れ、手を振ってお礼を言って列車を降りたそして時間通りに到着して、その駅の地上にある観光案内所も隣接した待合室で、当時お世話になる方と多少すれ違いがあったもの無事対面できて、めでたし、めでたし! 続きを見る['close']