私のヒーローだった先生へ。
[2011-12-13 21:42:06]
ねぇ先生
県内屈指のダメ高校の生徒だった私が、
地方有数の難関私大を受けたいと言った日を、
覚えていますか
先生は、「無理」とも「大丈夫」とも言わず、
ただ「教えられるだけ教えるから、ついてこい」と、
言っただけでしたね
家庭教師という立場上、
あからさまに無理とは言えなかったことを加味しても、
先生についていこうと決心するには、
その一言で十分でした
成績の都合上、ずっと理系クラスにいたため、
文系の生徒が大嫌いな当時の担任の先生には、英米学科志望の私はいない者扱いをされていました
かといって、英語の教科主任は、
自分の思い通りにならない生徒が嫌いで、
洗脳し損ねた私を、蹴落とすことに必死でした
高校の先生は、当てにならないどころか、
敵も同然でした
みんなが「お前には無理だ」と言う中で、
先生だけは、責任を持って私を見てくれましたね
そう、「責任を持って」
文系の進路を取りたいのに理系にいたため、
受験科目は英語、国語、数学でしか取れない状況で、
致命的に足を引っ張っていた数学が、
先生のおかげで、武器になりました
「教えられるだけ教える」の言葉通りに、
毎週自作の練習問題と勉強のスケジュールを持って、
分かるまで付き合ってくれましたね
とにかく公式を覚えるのが苦手な私に合わせて、
どんな応用問題も、最低限の公式で、
あとは頭で考えるやり方を教えてくれましたね
出会った頃の、数学の偏差値は40を切っていたのに、
センター試験本番では、96点を叩き出し、
第一志望だった大学に合格したことを、
今でも誇りに思います
「やればできる」と口に出すことはなかったけれど、
いつも態度で示して、信じてくれていましたね
私はその想いに、応えられたでしょうか
そして入学した大学は、先生の言っていた通りでした
「偏差値の高い学校に行く、一番の意味は、
高みを目指して頑張れる人間と触れあえること」
成功するまで努力する人間が集まっていて、
そこで出会った友人達は、少し頑固だったりもするけれど、
卒業しても尚、互いを深く思いやり、刺激し合える仲です
先生がいなければ、
こんな一生の宝ともいうべき出会いも、
なかったのでしょう
ねぇ先生
たった一人、私を信じてくれた先生は、
まるでヒーローみたいでした
あれからもう7年が経つけれど、
何度でも言います
本当にありがとう
続きを見る
['close']