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cafepisukeさん
■ブログ 珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫
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珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 「恋」という言葉の語釈について 前回、和泉式部(5)で、恋について書いた 今回は、その「恋」という言葉の語釈についてちょっと書いていこうと思う 何度か映画の「舟を編む」について触れたが、本当に私の中では衝撃の映画であった 物語は、辞書を編纂するという抑揚のそんなにない淡々と流れていく映画であるが、小学校から常に机に在った辞書が出来るまでなんて考えたこともなかっただけに、そんな映画と出会えたことが悦びであった 日本で売れている辞書が、あらゆる本の中でもベストセラーだそうである 考えれば、小中、高校、大学、社会人と進むに従って、その学力に応じて揃えるものであるから当然と言えば当然なのかもしれない もちろん、国語辞典だけじゃなく、漢和、英和、和英などすべての辞書を含んでのことであろうが その映画の中で、「恋」という語釈があった 前回の和泉式部にも書いたが、再度ここに引用してみる 「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態成就すれば、天にものぼる 気持ちになる」 私は、この歳になってこの映画を見るまで、それぞれの出版社の辞書の語釈が違うなんてこと思ったことがなかった 多くの人もそうなのではないだろうか 本当に衝撃であった そこでどのくらい違うのかを「恋」という言葉の語釈を調べたくなった 私の机の上には、国語辞典は「広辞苑」と「岩波国語辞典」しかないので、PCで調べようとしたが、ほとんどほしいものが出てこない そこで、市立図書館で調べることにした と、言っても我が家から20mもない距離である^^ 私は、その市立図書館を、「私の書斎」と思っている^^!!(こらこら^^) 日本で最初に辞書を作った人は、空海であることは周知の事実であるが、私は、今の国語辞典の基礎は明治時代に文部省の命により編纂した大槻文彦氏の力そのものだと思っている それが、「言海」である今は、改訂を重ね「大言海」となっているが その「言海(冨山房)」の「恋」の語釈は、 『戀フルコト慕ヒ思フコト戀愛戀慕』とあった シンプル イズ箱根である^^(こらこら^^) そして、さすが、明治の辞書である「恋」も旧字の「戀」となっていた さて、やはり、日本を代表する国語辞典と言えば、「広辞苑(岩波)」と「大辞林(三省堂)」であろう それらにはどう語釈してあるか、どれくらい違うのかと考えただけで、ワクワクしてきた まず、我が家の「広辞苑(岩波)」で調べたのが、 『①一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて切なく思うことまた、そのこころ 特に、男女間の思慕の情恋慕恋愛 ②植物や土地などに寄せる思慕の情』 と書いてあった 「大辞林(三省堂)」は、 『①特定の異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち ②古くは異性に限らず、植物、土地、古都、季節、過去の時など目の前にない対象を慕う心にいう』 とあった 「ぎょえぇ」と、かなり違うことに結構驚いてしまった だったら、岩波や三省堂でないほかの出版社の小学館や角川や講談社などの語釈が気になった その小学館には、「日国」と呼ばれる日本最大の国語辞典がある 「日本国語大辞典(小学館)」である14巻もある 今はそんな気はないが、昔はこの辞典がほしくてたまらないときがあった 昔々付き合っていた女性が、国文学科の学生だったことで、なんだかんだと読んだ本や言葉の語源などのことでたびたび議論になったとにかく負けん気の強い女性だったが、こっちが一途だったこともあり、ただその子に負けたくなかったのと見栄を張りたかっただけの理由であった^^(おいおい^^)!! その「日本国語大辞典(小学館)」には、 『①人、土地、植物、季節などを思い慕うことめでいつくしむこと ②異性(時には同性)に特別な愛情を感じて思い慕うこと恋すること恋愛恋慕 ③和歌、廉価、俳諧などで恋愛を題材にした作品 ④愛人情婦』 とあった この(時には同性)に、驚いたいつから、この言葉が付け加えられたんだろう そして、「愛人情婦」である 初めて出くわした解釈であると、いうよりもそんな意味で使っている人に会ったこともなければ、聞いたこともないのある不思議と言うよりも、私の中では、認めたくない語釈である 可笑しかったのは、「恋すること」とあることである 「恋」を調べているのに、「恋すること」を平気で載せる小学館は恐るべきと思わざるを得なかった^^ 角川の「国語大辞典(角川)」には、 『特定の異性を愛し慕うこと』 講談社の「国語辞典(講談社)」には、 『異性に心を強くひかれる気持恋愛』 とあった 「これだけかぁ」と力抜けをしてしまった 「広辞苑」は岩波であるが、同じ岩波から「岩波国語辞典」が出版されている 同じ出版社でも、編者が違うと、語釈もまったく違うのある それにも、少し驚いてしまった その「岩波国語辞典(岩波)」には、 『異性に愛情を寄せること、その心恋愛 本来は(異性に限らず)その対象にどうしようもないほどひきつけられ、しかも満たされずに苦しい気持ちを言う 「恋は楽し、野辺の花よ」のような言い方は、1910年ごろからのもの」 とあった 今から、100年前は、やはり恋は、苦しくて切ないもののことだけを言い表していたのかもしれない そういえば、和歌などを読んでも、成就した歌に恋という言葉は出てこないことを思い出した 三省堂も「大辞林」の他にも、「新明解国語辞典(三省堂)」という人気の辞書がある この語釈に、思わず笑ってしまった 『特定の男性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくはないほどの満足感、充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態』とあった いったい誰が語釈をしたのだろと、本当に図書館で笑ってしまったのである^^ 「大辞泉(小学館)」、「大きな活字の三省堂国語辞典(三省堂)」、「ハイブリッド新辞林(三省堂)」、「角川携帯国語辞典(角川)」など他にも当たったが、これって思う語釈に会うことが出来なかった 引っ張り出した十数冊の辞書を仕舞い終わりかけたとき、幾つかの辞書の背に、「金田一京助 編」とあるのに気が付いた 私も初めて買ってもらった国語辞典も金田一京助編であった 小学校のとき、買ってもらったが、中学1年まで、「きんだいち きょうすけ」と読めずに「かねだ いっきょうのすけ」と読んでいた^^(おいおい^^)!! 当時の学級委員だった武部君から、「お前、知らなかったのぉ!」と言われたことを今でも覚えている^^!! さて、その金田一京助氏は、実際にはどの辞書のどの言葉も語釈をしていなかったようである かなり前に息子である金田一春彦氏が、「名前を貸していただけ」とTVで言っていった ただ、金田一京助氏がいなければ、アイヌ語がすべて死語になっていたという そんなことを思いながら、図書館をあとにしたのであった 「舟を編む」が公開されるときに、一般から「恋」の語釈を募ったようである それを知っていたら、絶対に応募しただろうって、なにか残念でならない^^!! その中で幾つか私のお気に入りが出てきた 『“あなた”がいるということ』 『勘違いと妄想の偶然の調和』 『心に手をあて「この人」と自覚してから「その人」が心から消える期間』 『心を酔わす酒のようなものすぐに醒める者もいれば、いつまでも酔い続ける者もいる』 『相手に強く惹かれ、想うことで、心に四季がもたらされるもの暖かな春、情熱の夏、センチメンタルな秋、凍てついた冬と、場合によっては1日のうちにハイペースで季節が巡る場合もある』 みんな、上手く考えるものだ! これを読んだ方の語釈もいつか聞いてみたい気がする と、いうことで次回へ^^!! 次回は、なにが飛び出すか^^乞う、ご期待を^^!! って、次回も和泉式部じゃないのかいな^^!!(おいおい^^)!! 「あの時に 伝えることが できぬまま あの娘(こ)への想ひ 今も続かん」 「ただ想う どうしていいかも わからずに 歯痒さばかり 月と話さん」 おいおい^^和歌 「恋破れ 酒を煽りに 街に出る 朝のベッドに 見知らぬ女性^^」(おいおい^^)!! 「恋なんて 二度としないと 思うだけ 今日のあの女性(こ)に すぐ恋をする^^」(おいおい^^)!! ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! ファンサイトオブザイヤー受賞記念♪ テーブルマーク商品詰め合わせモニターイベント 続きを見る ['close']
「恋」と言う言葉の語釈について^^ 2015年01月24日 | 和歌 珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 「恋」という言葉の語釈について 前回、和泉式部(5)で、恋について書いた 今回は、その「恋」という言葉の語釈についてちょっと書いていこうと思う 何度か映画の「舟を編む」について触れたが、本当に私の中では衝撃の映画であった 物語は、辞書を編纂するという抑揚のそんなにない淡々と流れていく映画であるが、小学校から常に机に在った辞書が出来るまでなんて考えたこともなかっただけに、そんな映画と出会えたことが悦びであった 日本で売れている辞書が、あらゆる本の中でもベストセラーだそうである 考えれば、小中、高校、大学、社会人と進むに従って、その学力に応じて揃えるものであるから当然と言えば当然なのかもしれない もちろん、国語辞典だけじゃなく、漢和、英和、和英などすべての辞書を含んでのことであろうが その映画の中で、「恋」という語釈があった 前回の和泉式部にも書いたが、再度ここに引用してみる 「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態成就すれば、天にものぼる 気持ちになる」 私は、この歳になってこの映画を見るまで、それぞれの出版社の辞書の語釈が違うなんてこと思ったことがなかった 多くの人もそうなのではないだろうか 本当に衝撃であった そこでどのくらい違うのかを「恋」という言葉の語釈を調べたくなった 私の机の上には、国語辞典は「広辞苑」と「岩波国語辞典」しかないので、PCで調べようとしたが、ほとんどほしいものが出てこない そこで、市立図書館で調べることにした と、言っても我が家から20mもない距離である^^ 私は、その市立図書館を、「私の書斎」と思っている^^!!(こらこら^^) 日本で最初に辞書を作った人は、空海であることは周知の事実であるが、私は、今の国語辞典の基礎は明治時代に文部省の命により編纂した大槻文彦氏の力そのものだと思っている それが、「言海」である今は、改訂を重ね「大言海」となっているが その「言海(冨山房)」の「恋」の語釈は、 『戀フルコト慕ヒ思フコト戀愛戀慕』とあった シンプル イズ箱根である^^(こらこら^^) そして、さすが、明治の辞書である「恋」も旧字の「戀」となっていた さて、やはり、日本を代表する国語辞典と言えば、「広辞苑(岩波)」と「大辞林(三省堂)」であろう それらにはどう語釈してあるか、どれくらい違うのかと考えただけで、ワクワクしてきた まず、我が家の「広辞苑(岩波)」で調べたのが、 『① 一緒に生活できない人や亡くなった人に強くひかれて切なく思うことまた、そのこころ 特に、男女間の思慕の情恋慕恋愛 ②植物や土地などに寄せる思慕の情』 と書いてあった 「大辞林(三省堂)」は、 『① 特定の異性に強く惹かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち ②古くは異性に限らず、植物、土地、古都、季節、過去の時など目の前にない対象を慕う心にいう』 とあった 「ぎょえぇ」と、かなり違うことに結構驚いてしまった だったら、岩波や三省堂でないほかの出版社の小学館や角川や講談社などの語釈が気になった その小学館には、「日国」と呼ばれる日本最大の国語辞典がある 「日本国語大辞典(小学館)」である14巻もある 今はそんな気はないが、昔はこの辞典がほしくてたまらないときがあった 昔々付き合っていた女性が、国文学科の学生だったことで、なんだかんだと読んだ本や言葉の語源などのことでたびたび議論になったとにかく負けん気の強い女性だったが、こっちが一途だったこともあり、ただその子に負けたくなかったのと見栄を張りたかっただけの理由であった^^(おいおい^^)!! その「日本国語大辞典(小学館)」には、 『① 人、土地、植物、季節などを思い慕うことめでいつくしむこと ②異性(時には同性)に特別な愛情を感じて思い慕うこと恋すること恋愛恋慕 ③和歌、廉価、俳諧などで恋愛を題材にした作品 ④愛人情婦』 とあった この(時には同性)に、驚いたいつから、この言葉が付け加えられたんだろう そして、「愛人情婦」である 初めて出くわした解釈であると、いうよりもそんな意味で使っている人に会ったこともなければ、聞いたこともないのある不思議と言うよりも、私の中では、認めたくない語釈である 可笑しかったのは、「恋すること」とあることである 「恋」を調べているのに、「恋すること」を平気で載せる小学館は恐るべきと思わざるを得なかった^^ 角川の「国語大辞典(角川)」には、 『特定の異性を愛し慕うこと』 講談社の「国語辞典(講談社)」には、 『異性に心を強くひかれる気持恋愛』 とあった 「これだけかぁ」と力抜けをしてしまった 「広辞苑」は岩波であるが、同じ岩波から「岩波国語辞典」が出版されている 同じ出版社でも、編者が違うと、語釈もまったく違うのある それにも、少し驚いてしまった その「岩波国語辞典(岩波)」には、 『異性に愛情を寄せること、その心恋愛 本来は(異性に限らず)その対象にどうしようもないほどひきつけられ、しかも満たされずに苦しい気持ちを言う 「恋は楽し、野辺の花よ」のような言い方は、1910年ごろからのもの」 とあった 今から、100年前は、やはり恋は、苦しくて切ないもののことだけを言い表していたのかもしれない そういえば、和歌などを読んでも、成就した歌に恋という言葉は出てこないことを思い出した 三省堂も「大辞林」の他にも、「新明解国語辞典(三省堂)」という人気の辞書がある この語釈に、思わず笑ってしまった 『特定の男性に深い愛情をいだき、その存在が身近に感じられるときは、他のすべてを犠牲にしても惜しくはないほどの満足感、充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れての不安と焦燥に駆られる心的状態』とあった いったい誰が語釈をしたのだろと、本当に図書館で笑ってしまったのである^^ 「大辞泉(小学館)」、「大きな活字の三省堂国語辞典(三省堂)」、「ハイブリッド新辞林(三省堂)」、「角川携帯国語辞典(角川)」など他にも当たったが、これって思う語釈に会うことが出来なかった 引っ張り出した十数冊の辞書を仕舞い終わりかけたとき、幾つかの辞書の背に、「金田一京助 編」とあるのに気が付いた 私も初めて買ってもらった国語辞典も金田一京助編であった 小学校のとき、買ってもらったが、中学1年まで、「きんだいち きょうすけ」と読めずに「かねだ いっきょうのすけ」と読んでいた^^(おいおい^^)!! 当時の学級委員だった武部君から、「お前、知らなかったのぉ!」と言われたことを今でも覚えている^^!! さて、その金田一京助氏は、実際にはどの辞書のどの言葉も語釈をしていなかったようである かなり前に息子である金田一春彦氏が、「名前を貸していただけ」とTVで言っていった ただ、金田一京助氏がいなければ、アイヌ語がすべて死語になっていたという そんなことを思いながら、図書館をあとにしたのであった 「舟を編む」が公開されるときに、一般から「恋」の語釈を募ったようである それを知っていたら、絶対に応募しただろうって、なにか残念でならない^^!! その中で幾つか私のお気に入りが出てきた 『“あなた”がいるということ』 『勘違いと妄想の偶然の調和』 『心に手をあて「この人」と自覚してから「その人」が心から消える期間』 『心を酔わす酒のようなものすぐに醒める者もいれば、いつまでも酔い続ける者もいる』 『相手に強く惹かれ、想うことで、心に四季がもたらされるもの暖かな春、情熱の夏、センチメンタルな秋、凍てついた冬と、場合によっては1日のうちにハイペースで季節が巡る場合もある』 みんな、上手く考えるものだ! これを読んだ方の語釈もいつか聞いてみたい気がする と、いうことで次回へ^^!! 次回は、なにが飛び出すか^^乞う、ご期待を^^!! って、次回も和泉式部じゃないのかいな^^!!(おいおい^^)!! 「あの時に 伝えることが できぬまま あの娘(こ)への想ひ 今も続かん」 「ただ想う どうしていいかも わからずに 歯痒さばかり 月と話さん」 おいおい^^和歌 「恋破れ 酒を煽りに 街に出る 朝のベッドに 見知らぬ女性^^」(おいおい^^)!! 「恋なんて 二度としないと 思うだけ 今日のあの女性(こ)に すぐ恋をする^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! ファンサイトオブザイヤー受賞記念♪ テーブルマーク商品詰め合わせモニターイベント “ポテトチップス×じっくりコトコト こんがりパン”1箱丸ごとを30名様にお届け! ジャンル:芸術 ランキングに参加中クリックして応援お願いします! 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(5)恋について また、和泉式部に戻ってきた^^ 今回は、其の五になる と、言っても、風来坊で風の吹くまま気の向くままに、あっちの駄菓子屋、こっちのカフェと、また寄り道ばかりになりそうである 和泉式部の艶歌に、今日こそ辿り着けるのであろうか なにかのっけから、無理っぽい気がしてきている^^ 「世の中に 恋といふ色は なけれども ふかく身にしむ ものにぞありける」 「人の身も 恋にはかへつ 夏虫の あらはに燃ゆと 見えぬばかりぞ」 勅撰集「後拾遺和歌集」の中に幾つかの和泉式部の恋の歌が載っているが、私は、この2首があまりにも対照的なのでどちらが本当の和泉式部であろうかと、若い日に読んだとき考えた記憶がある 今思うことは、おそらく、この相容れない弱さと強さの想いが和泉式部の恋という概念であったのかもしれない もちろん彼女が詠んだ時の年齢にもよるが 身を時の感情のまま委ねるただただ、恋にではなく、自分自身に正直で情熱的な女性だったのだろう 最初の歌は、実に淡い歌である今の世でも、男女関わらず誰でもが感じているものではないだろうか ※世の中に恋という色はないけれど、深く私の身に想いという色が染みてきます それに比べて、次の歌は、酸いも甘いも知り尽くした以上に恋に執念を感じてならないのである ※この我が身を、恋のためにすべて犠牲にしてしまった炎の中に飛び入った、蛾のようなものただ、誰の目にもこれは見えないでしょう 蝶でなく、蛾と自分自身を喩えているのである 夜行性の蛾に自分自身を置いてしまうこの女性に強さをやはり感じてしまう そこが、私の好きでたまらないところなのかもしれない そういえば、平安文学を読み始めたころ、和歌の中に「恋」という言葉が当時からあったことに驚かされた 中学高校で「恋」を含んだ歌を習ったかもしれないが、あの頃は、古典なんて所詮受験勉強の科目の一つだったからどうでも良かったし、それに気を止めることもなかった それが、和歌と言うものに興味を持ち、読み始めたときに、言葉の一つ一つに惹かれていくようになった 「恋」という字が含まれて詠まれた和歌に、ことさら当然のように惹かれていった 「こい」と言う言葉は、平安時代それよりも前からあった 万葉集では、「恋」ではなく「孤悲」と表現している歌が少なからずある 山部赤人の万葉集の1首がある 教科書などは、漢字とひらがなを併せたものを歌にしているが、万葉集はもともと漢字ですべて書かれていた 「明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國」 この歌にも「孤悲」という漢字が見えている 訓読みは、 「明日香河 川淀さらず 立つ霧の 念(おも)ひ過ぐべき 孤悲にあらなくに」となり、 ※飛鳥川のよどみにいつも立ちこめている霧のようにはかなく想いが消えていく孤悲とは違うのですそれはそれはもっと深いものなのです となると思うが、この歌の意味が問題ではなく、山部赤人もまた「孤悲」を使っているのである 多くの解釈本は、「孤悲」のところを、現代に使われる「恋」として意訳しているが、果たしてそうなのであろうか山部赤人が、「ひとりぽっちで悲しむ」で「孤悲」と表現したのであったとしたらどうであろう 私は、それが常識になりつつあることに大きな懸念を抱いている と、平安文学学者や古文研究家でもない私が言ったところで、戯言にしかならないであろう^^ 横道にちょっとずれるが、ってもう十分にずれていて、早く元の道に戻らねばと思っているが、なかなか障害物があって、自分で書いているのに何故か、戻るのが遅くなってしまいそうである そうそう、ひらがなが出来たのは、平安の初めであるそれより以前は、万葉集などのすべての書物が漢字で書かれていた ひらがなが、公的な書物に現れたのは、あの「古今和歌集」が最初なのであるそして、その選者は、紀貫之である その紀貫之が「土佐日記」を女性の振りをしてひらがなを用いて日記を書いた 日記と言っても、「土佐日記」は虚構を交えての作品であり、日記と言うよりも文学書なのかもしれない ただ、土佐で娘を亡くしたという悲しさ故に、事実だけを書き連ねていくことができなかったと思うと、余興交じりのあの書が、私には紀貫之の金字塔の書なのかもしれないと思うのである 女性が使うものとされていたひらがなを、何故あの紀貫之が「土佐日記」で書いたのかと、よく文学談などで話題に出されるが、私は、紀貫之という人物が、漢字というものが、心の奥をどこまで細かく伝えることが難しいのかを知っていたのではないかと思っている 漢字は硬く、そこに柔らかさを感じることがあまりない優しさや哀しさ、寂しさをどうしても伝えたいがために、ひらがなを使ったのではないかと思うのである それが、紀貫之が、娘をなくした親としてせめてもの娘への供養だったのではないだろうか そう思ってならないのである タイムマシンが在ったら、一度会って、真意を聞きたいものである 「恋」、「孤悲」の他に「乞い」から来ていて、何かを願ったり、求めたりする言葉として使われてきたと言われる それが、平城、平安の時代に入って変化してきたと昔読んだ何かの文献に書いてあった ついでになるが、「恋」を、昔は「戀」と書いた 「糸」と「糸」の間に「言」を入れて「心」を下に持ってきた これを「いとし いとしというこころ」と、けっこう女性が好みそうな解釈をされているが、元来「糸」を使う漢字は、縺(もつ)れるとか絡(から)むとかに使われてきたものである だから、糸が2つありそこに心を入れることで、「心が縺れて乱れ、自分を抑えることができない」それが本当の解釈だと思うのである 「愛し 愛し と 言う心」と「相手の気持ちがわからず心が縺れて乱れ、どうすることもできない」、どちらも同じように見えるが、自分本位なのか、相手本位なのか、大きく違うと思うのである 頑なに否定しようとは思わないどちらも間違っていないと思うからである まぁ、どちらも恋というよりも、恋そのものが難しいと思うのある^^ 「舟を編む」という映画があった 2013年公開の映画である松田龍平と宮崎あおいが主演の、辞書を編纂するという映画であり、私のお気に入りの映画の一つである その中で、「恋」の語釈を、「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態成就すれば、天にものぼる 気持ちになる」 と表現していた 映画を観ながら、言い得て妙だと感心してしまった あの和泉式部が、この語釈を読んだとしたら、どう思ったのであろうか また、和泉式部なら、どんな語釈になるだろうか、そう思うだけで楽しくなるのである さてさて、そろそろ横道から大通りに戻らなければ、なかなか前に進めないから戻ろうと思う 「男好き浮かれ女」とまで今の世になっても言われ続ける和泉式部であるが、どれくらいの男性と深い関係になったのであろうか というところで、続くのである^^!(おいおい^^)!! 和泉式部(6)こそ、恋の遍歴とそれに纏わる艶歌を書き綴っていきたいと思う 乞う、ご期待をである^^!! 「君想ひ 眠れぬ夜に 恋を詠む 心騒いで さらに眠れず」 「ひらがなに 心の襞(ひだ)を 委ね詠む 小さなことさえ 君に伝えん」 おいおい^^和歌 「ひらがなで 愛しているよと 綴(か)いてみる くすぐったいと 指を払われ^^」(おいおい^^)!! 「恋焦がれ 恋に恋して 身を焦がす そんな自分に 誰より溺れ^^」(おいおい^^)!! ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! とってもとっても美味しいもちもち!つるん♪【じゃが豚】お試しモニター大募集♪ 続きを見る ['close']
和泉式部(5)恋について 2015年01月15日 | 和歌 珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(5)恋について また、和泉式部に戻ってきた^^ 今回は、其の五になる と、言っても、風来坊で風の吹くまま気の向くままに、あっちの駄菓子屋、こっちのカフェと、また寄り道ばかりになりそうである 和泉式部の艶歌に、今日こそ辿り着けるのであろうか なにかのっけから、無理っぽい気がしてきている^^ 「世の中に 恋といふ色は なけれども ふかく身にしむ ものにぞありける」 「人の身も 恋にはかへつ 夏虫の あらはに燃ゆと 見えぬばかりぞ」 勅撰集「後拾遺和歌集」の中に幾つかの和泉式部の恋の歌が載っているが、私は、この2首があまりにも対照的なのでどちらが本当の和泉式部であろうかと、若い日に読んだとき考えた記憶がある 今思うことは、おそらく、この相容れない弱さと強さの想いが和泉式部の恋という概念であったのかもしれない もちろん彼女が詠んだ時の年齢にもよるが 身を時の感情のまま委ねるただただ、恋にではなく、自分自身に正直で情熱的な女性だったのだろう 最初の歌は、実に淡い歌である今の世でも、男女関わらず誰でもが感じているものではないだろうか ※ 世の中に恋という色はないけれど、深く私の身に想いという色が染みてきます それに比べて、次の歌は、酸いも甘いも知り尽くした以上に恋に執念を感じてならないのである ※ この我が身を、恋のためにすべて犠牲にしてしまった炎の中に飛び入った、蛾のようなものただ、誰の目にもこれは見えないでしょう 蝶でなく、蛾と自分自身を喩えているのである 夜行性の蛾に自分自身を置いてしまうこの女性に強さをやはり感じてしまう そこが、私の好きでたまらないところなのかもしれない そういえば、平安文学を読み始めたころ、和歌の中に「恋」という言葉が当時からあったことに驚かされた 中学高校で「恋」を含んだ歌を習ったかもしれないが、あの頃は、古典なんて所詮受験勉強の科目の一つだったからどうでも良かったし、それに気を止めることもなかった それが、和歌と言うものに興味を持ち、読み始めたときに、言葉の一つ一つに惹かれていくようになった 「恋」という字が含まれて詠まれた和歌に、ことさら当然のように惹かれていった 「こい」と言う言葉は、平安時代それよりも前からあった 万葉集では、「恋」ではなく「孤悲」と表現している歌が少なからずある 山部赤人の万葉集の1首がある 教科書などは、漢字とひらがなを併せたものを歌にしているが、万葉集はもともと漢字ですべて書かれていた 「明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國」 この歌にも「孤悲」という漢字が見えている 訓読みは、 「明日香河 川淀さらず 立つ霧の 念(おも)ひ過ぐべき 孤悲にあらなくに」となり、 ※飛鳥川のよどみにいつも立ちこめている霧のようにはかなく想いが消えていく孤悲とは違うのですそれはそれはもっと深いものなのです となると思うが、この歌の意味が問題ではなく、山部赤人もまた「孤悲」を使っているのである 多くの解釈本は、「孤悲」のところを、現代に使われる「恋」として意訳しているが、果たしてそうなのであろうか山部赤人が、「ひとりぽっちで悲しむ」で「孤悲」と表現したのであったとしたらどうであろう 私は、それが常識になりつつあることに大きな懸念を抱いている と、平安文学学者や古文研究家でもない私が言ったところで、戯言にしかならないであろう^^ 横道にちょっとずれるが、ってもう十分にずれていて、早く元の道に戻らねばと思っているが、なかなか障害物があって、自分で書いているのに何故か、戻るのが遅くなってしまいそうである そうそう、ひらがなが出来たのは、平安の初めであるそれより以前は、万葉集などのすべての書物が漢字で書かれていた ひらがなが、公的な書物に現れたのは、あの「古今和歌集」が最初なのであるそして、その選者は、紀貫之である その紀貫之が「土佐日記」を女性の振りをしてひらがなを用いて日記を書いた 日記と言っても、「土佐日記」は虚構を交えての作品であり、日記と言うよりも文学書なのかもしれない ただ、土佐で娘を亡くしたという悲しさ故に、事実だけを書き連ねていくことができなかったと思うと、余興交じりのあの書が、私には紀貫之の金字塔の書なのかもしれないと思うのである 女性が使うものとされていたひらがなを、何故あの紀貫之が「土佐日記」で書いたのかと、よく文学談などで話題に出されるが、私は、紀貫之という人物が、漢字というものが、心の奥をどこまで細かく伝えることが難しいのかを知っていたのではないかと思っている 漢字は硬く、そこに柔らかさを感じることがあまりない優しさや哀しさ、寂しさをどうしても伝えたいがために、ひらがなを使ったのではないかと思うのである それが、紀貫之が、娘をなくした親としてせめてもの娘への供養だったのではないだろうか そう思ってならないのである タイムマシンが在ったら、一度会って、真意を聞きたいものである 「恋」、「孤悲」の他に「乞い」から来ていて、何かを願ったり、求めたりする言葉として使われてきたと言われる それが、平城、平安の時代に入って変化してきたと昔読んだ何かの文献に書いてあった ついでになるが、「恋」を、昔は「戀」と書いた 「糸」と「糸」の間に「言」を入れて「心」を下に持ってきた これを「いとし いとしというこころ」と、けっこう女性が好みそうな解釈をされているが、元来「糸」を使う漢字は、縺(もつ)れるとか絡(から)むとかに使われてきたものである だから、糸が2つありそこに心を入れることで、「心が縺れて乱れ、自分を抑えることができない」それが本当の解釈だと思うのである 「愛し 愛し と 言う心」と「相手の気持ちがわからず心が縺れて乱れ、どうすることもできない」、どちらも同じように見えるが、自分本位なのか、相手本位なのか、大きく違うと思うのである 頑なに否定しようとは思わないどちらも間違っていないと思うからである まぁ、どちらも恋というよりも、恋そのものが難しいと思うのある^^ 「舟を編む」という映画があった 2013年公開の映画である松田龍平と宮崎あおいが主演の、辞書を編纂するという映画であり、私のお気に入りの映画の一つである その中で、「恋」の語釈を、「ある人を好きになってしまい、寝ても覚めても その人が頭から離れず、他のことが 手に付かなくなり、身悶えしたくなるような心の状態成就すれば、天にものぼる 気持ちになる」 と表現していた 映画を観ながら、言い得て妙だと感心してしまった あの和泉式部が、この語釈を読んだとしたら、どう思ったのであろうか また、和泉式部なら、どんな語釈になるだろうか、そう思うだけで楽しくなるのである さてさて、そろそろ横道から大通りに戻らなければ、なかなか前に進めないから戻ろうと思う 「男好き浮かれ女」とまで今の世になっても言われ続ける和泉式部であるが、どれくらいの男性と深い関係になったのであろうか というところで、続くのである^^!(おいおい^^)!! ゲロツ!!ほとんど和泉式部の話でなくなってる^^!! どしよ^^!! 和泉式部(6)こそ、恋の遍歴とそれに纏わる艶歌を書き綴っていきたいと思う 乞う、ご期待をである^^!! 「君想ひ 眠れぬ夜に 恋を詠む 心騒いで さらに眠れず」 「ひらがなに 心の襞(ひだ)を 委ね詠む 小さなことさえ 君に伝えん」 おいおい^^和歌 「ひらがなで 愛しているよと 綴(か)いてみる くすぐったいと 指を払われ^^」(おいおい^^)!! 「恋焦がれ 恋に恋して 身を焦がす そんな自分に 誰より溺れ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! とってもとっても美味しいもちもち!つるん♪【じゃが豚】お試しモニター大募集♪ 【Amazonギフト券が当たる!】理想のプロポーズ&プロポーズ体験談を教えて ジャンル:芸術 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 「私と映画(2)私のお気に入り平成の邦画」 昭和の映画の話をし始めたら、幾日あっても足りないだろう それが洋画であっても邦画であっても ただ、私が映画と呼ぶのは、あくまでも映画として製作されたものである 人気TVドラマが、映画化されたものは私は映画とは呼ばない それは、あくまでもTVドラマの延長戦にしかないと思うからだ そうは言っても嫌いではなく、それはそれでめちゃくちゃ楽しんでいる^^! 「相棒」と「 踊る大捜査線」シリーズは全部、「名探偵コナン」はほとんど、他にも「HERO」「アンフェア」「ガリレオ」「大奥」「外事警察」「トリック」「ハゲタカ」と数知れず観た そのどれもがTVドラマの延長として観れば実に面白かった 古くは「あぶない刑事」なんかも4本か5本、映画館に足を運んだ そういえば、あの寅さんの「男はつらいよ」も最初はTV番組だった気がする ケーブルTV加入のおかげもあって、全然タイトルも聞いたことがない邦画をランダムに録画して休日に暇つぶしに観るようになった それが、実に面白いのである 最初は、本当に暇つぶしのためだったが、今は、楽しみで観ている もちろん、前知識はない 事前にPCで調べたりは極力しないで観るようにしているから、見終わったあとに、「あ観なければよかった」と思うものも少なくはない でも、当たりの数も同じ数くらいある 当たりの映画に逢うと、本当に得した気分以上にとにかく幸せで何日かは心が暖かいままでいられるのである 私のお気に入りは、邦画興行ランキングの上位に入っているものが数が少ない なんか、「えっ、私の感性ってみんなとずれてる??」って思ってしまうのあるであるが、所詮趣味趣向は他人と違って当たり前なのである!! そこで、私の最近観たお気に入り邦画を紹介してみようと ただ、こればっかりは、人それぞれ趣味と嗜好が違うので、「是非!!」って絶対に薦めるものではない^^ 最初は、よくこんなアホらしい映画を作ったな!!って、とにかく呆れたものが、 「鴨川ホルモー」(2009)である^^! 実にくだらない!本当にくだらない!! そう言いながら、45回と飽きずに観ている私が一番アホかもしれない^^ とにかく、山田孝之栗山千明濱田岳石田卓也らがキャストなのだが、これに出演したキャストとおそらく興行成績を無視してこんなものを真剣に作ったスタッフやこの映画に携わった一同への賛辞を私は惜しまないのである ミッキーカ―チスこと五十嵐信次郎と吉高由里子と濱田岳のキャスティングの「ロボジー」(2012)は文句なしに楽しめた^^! 今、思い出しても微笑ましくなる映画である 佐藤浩市妻夫木聡深津絵里、監督脚本が三谷幸喜の「ザマジックアワー」、これは、映画館で爆笑しまくった映画だった きっと周りの人は、私の止まらない爆笑に怒っていたんじゃないだろうかと今になって思うほど、笑った!! 監督脚本が同じ三谷幸喜の前作「THE 有頂天ホテル」があまりにつまらなくて、この映画もそんなに期待はしてなかっただけに、喜びもまた一入であった そういえば、くだらなかった映画がもう1本あった^^ 阿部サダヲ柴咲コウ堤真一の「舞妓Haaaan!」(2007)である 見終わったあとに、実に無駄な時間を使ったと実感する映画である でも、私は、嫌いではないけっこうお気に入りの映画である 「舟を編む」(2013) これは、一人でも多くの人に観てもらいたい映画である 私は滅多に自分の趣味や嗜好を薦めないのであるが、この映画は本当に観てもらいたい1本である 松田龍平宮崎あおいオダギリジョーらが出演している 物語は、淡々としていて最後まで静かなのだが、終始人肌の温かさを感じさせてくれるのである 松田龍平と宮崎あおいの絡みもまた微笑ましいのある 見終わったとき、この映画に出会ったことに喜ぶと同時に感謝した映画であった 宮崎あおいと言えば、「初恋」(2006)も捨てがたい1本である 1968年12月10日に発生したあの3億円事件が素材なのだが、平成の映画でありながら、オーバーな表現かもしれないが、若松孝二や寺山修司らのアングラの世界観を思い出させてくれた映画であった 大竹しのぶ黒木瞳の「阿修羅のごとく」(2003)もお気に入りである 私が20代のときにNHKで放送された向田邦子作品である 当時、四女の咲子役が、大好きな風吹ジュンだったこともあり、すべてのシリーズを見ていた それが、四半世紀以上経って、映画化されたのである ずっと昔の時代、谷崎潤一郎「細雪」の世界を、よりざっくばらんにしたのであろうか、意味が通らないかもしれないが一言で私がまとめるとしたら、「あり得ない普通の家族」の映画である^^! 他にも、鈴木京香西田尚美の「木曜組曲」(2002)、田中裕子岸部一徳の「いつか読書をする日」(2005)、豊川悦司小池栄子仲村 トオルの「接吻」(2008)、藤原竜也大沢たかお松嶋菜々子の「藁の楯」(2013)も、私のお気に入り映画の上位にランキングされている^^!! 俳優と言えば、今、妻夫木聡の映画を次から次に観ている 「ザマジックアワー」で、好きになった俳優である 「ジャッジ!」(2014)、「黄金を抱いて翔べ」(2012)、「悪人」(2010)、「ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜」(2009)、「憑神」(2007)、「きょうのできごと a day on the planet」(2004)、そのどれもが私には面白いのある 昨年2014年、7本の映画が公開されたまだまだ、これからも妻夫木映画を楽しめそうである 先日観た「さよなら渓谷」(2013)は、真木よう子の演技に魅せられた映画であった 大西信満もまた良かった ただ、この映画は、好む人と好まない人が大きく分かれそうな作品であろう 私は、観終わったあと大きくため息をついたそのため息は、満足のため息であった 真木よう子という女優が、大きく大きく見えた映画であった 最後になるが、おそらくこの映画は、世間ではB級を超えたC級映画なのかもしれない 興行成績も散々だったみたいである でも、私にしたら、超A級映画である あったはなく、あるにしたのは、今以て、私の中では超A級の座は揺ぎ無い映画だからだ 何十回観たかわからない好きな場面だけなら、百回はゆうに超えているそして、同じところで涙ぐんでいる とにかく私の壷、ど真ん中のストレートだった映画である セリフも全部覚えていると言っても過言ではない映画である 箱根駅伝をテーマにした「風が強く吹いている」(2009)である 箱根駅伝を高校時代から愛して止まないからかもしれないが、とにかく好きとか言う言葉をはるかに凌駕した映画なのである また、観たくなってきた^^!! また、機会があったら邦画の話をしようと思う さて、そろそろ今週は、「和泉式部」に戻ろうかなって思っているが、どうなることやらである 「小遣いで 初めていった 映画館 『おさな妻』観た 中二の春に」 「歳を取り 涙腺緩く すぐに泣く 泣くとこあった?と 連れに笑われ」 おいおい^^和歌 「エロ映画 タイトルだけで 発情す そんな時代に 二度と戻れず^^」(おいおい^^)!! 「何見ても 出ている女優に すぐ惚れる どんな恋愛 するかを妄想^^」(おいおい^^)!! ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 世田谷自然食品★<自然派食品>おみそ汁おいしさ実感キャンペーン♪50名大募集★ 続きを見る
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