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cafepisukeさん
■ブログ 珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫
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和泉式部(4) 2015年01月04日 | 和歌 珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(4) 年が明け、2015年 今年はどんな一年になるのだろうか なにか大きいものが来そうな予感が!! 今年に入って最初のブログとなる 新年早々は、明るい話題もと思ったが、やっぱり和泉式部のことをもう少し書いていこうと思う 和泉式部(3)の続編である ただ、彼女の濃密和歌思わせ歌は、また今度にと思う延期の連続である いったい、いつになるのだろう楽しみにしていた読者のみなさんには、ごめんなさいである またまた、「乞う、ご期待!」ということで!! さて、和泉式部は、いつ生まれたのだろう その出生が未だにわかってないのである 974年 与謝野晶子説 976年 上村悦子説 977年 玉井幸助説 978年 藤岡忠美説 978979年 山岸徳平村上治説 と、さまざまである 与謝野晶子を除くその誰もが日本を代表する国文学者である 昭和女子大初代学長の上村女史、王朝文学と言えば藤岡氏、和泉式部全訳を執筆した村上氏など錚々たる人たちなのであるが、はっきりとした誕生年がわからないのである 一番支持されているのが、978979年とした山岸徳平村上治説である 996年に橘道貞と結婚997年に娘の小式部内侍を出産その小式部内侍が藤原道長の子である教通との間に産んだ静円の誕生年が1017年であったために、おそらく和泉式部は1819で道貞と一緒になったのだから、978979年に産まれたのだろうと この根拠も、私如きの分際で、高名な先生方には大変申し訳ないが、実に曖昧と言えば曖昧、いい加減といえばいい加減なのかもしれない 出生に関して、付け加えると、和泉式部の幼名は「御許丸(おもとまる)」である まぁ、ここでそんなに論じることでもないので、次に話を進めていこうと思う(おいおい^^)!! それでは、どんな女性だったのか、当時一緒に生きていた女性二人からまったく違う二つの評価がある あの紫式部は、和泉式部のことを「紫支部日記」の中にこう評している かの清少納言を、「したり顔した中身のない才女ぶった女性である」とまで酷評している紫式部である その紫式部の和泉式部評を現代意訳にすると 「和泉式部という人は、趣深く手紙のやり取りをした人であります それにしても、和泉は、男にだらしなく感心できない面がありますでも、文章の方面の才能が見える人で、言葉の艶やかな魅力があるようにも思います だけど、確かに彼女の歌は趣向を凝らしていますが、知識やしっかりとした見る眼がなく、ただ目につくような言葉を思いついたように詠んでいるとしか思えません 人の作品を評価したとしても理解が深くないからあてにはなりません みんなが、凄いなって思うような立派な歌人だとは思えません」 と、清少納言よりも柔らかであるが、かなり厳しく評価しているのである ただ、私から言わせると、紫式部の歌は、心が通っていないものが多い気がしてならない 自分の才に溺れているのは、むしろ紫式部のほうだと思ってならないのである もしかしたら、紫式部自身、そのことを知っていたのではと思うのである だから、この評は、嫉妬なのかもしれない ここに「無名草子」がある 平安時代に書かれた「草子」で、清少納言の「枕草子」のように多くは知らないと思われる「草子」であろう 実に面白い書であるから、平安文学に興味のある人にはお奨めの一冊である 「草子」とは、一般的には日記や物語、歌本などの総称で、紙で綴じているものを言うが、通俗書物などを草子と呼ぶ場合も多い 「枕草子」は日記の類であろうが、よく耳にする「御伽草子」はどしらかと言えば通俗書物に類するのかもしれない 「御伽草子」の中には、「一寸法師」「浦島太郎」「物くさ太郎」「酒呑童子」などがある この「無名草子」、藤原俊成女(むすめ)が書いたと言われる物である その中の一説に「ただ一言葉にても、世の末にとどまるばかりのふしを書きとどむべき、とはおぼゆる」とあるこれからもずっと残したいという作者の覚悟が見える書物である 後世にまで残したいというその書の中に、和泉式部評があるのである 現代意訳 「和泉式部は、多くの歌を詠んできているけど、どれもが優れていて秀逸であるこれは前世との因縁でしょうか現世だけの巡り会わせとは思えないのです 男性問題にしても貴船神社に縋るようなかわいい女性でした せめて、和泉式部のような才がほしくてたまらないのです晩年の和泉式部は、男に捨てられたとき貴船神社に慰められたり、そして大往生していきました和歌の力は、和泉式部を歌神様にしたのですね」 と紫式部とは真反対の絶賛である いったいどっちの女性像に近かったのであろうか そう考えるだけでも、和泉式部に一度会ってみたいのである いずれにしても、藤原道長、藤原公任から高い評価を受けていた歌人なのである この辺で次回に続く ちょっと中途半端だったかも まぁ、いつものことである 「紫に 焼餅妬かれ 何思ふ 男遊びと 思へば思へよ」 「捨てられて 貴船に飛び込み 情け乞う 木造船なら 沈んだままに」 おいおい^^和歌 「紫は 女魅せるに 乏しいか ムラムラ来ないし 咲きも見えない^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! http//moniplajp/bl_rd/iid18455389654938da7b0a1e/m547ff3c99ee72/k2/s0/ ↑ 受験応援パスタ 「金のスペシャリテ」 受験生におススメするなら、どのメニュー? 気持ちいいよ!!寝心地最高!!【2015東京西川】ドルメオ mattress マットレス 一層タイプ 5名様 この美味しさ!間違いなし!!!2015年!新年の抱負を教えてアクリフーズ冷凍食品福袋15名様にプレゼント♪ ジャンル:芸術 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!!珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^!和泉式部(3)第三回となり、ふと気づいたことが和泉式部って、どんな素性で、どうしてそんな名前なんだろうかと思う人がけっこういるのではないだろうか!事実、紫式部、清少納言、小野小町が、平安時代の女流文学家のペンネームだと思う人がけっこういるのである今回は、和泉式部の思わせ薬について書いていこうと思っていたが、それはまた今度にして、彼女の人生の大まかなことを書いていこうと思う平安貴族の時代、もちろん、生まれてきた女性には名前があったが、貴族世界の文壇では、女性の下の名前を呼ぶという慣習はまったくなかったのである「蜻蛉日記」の作者にしても、藤原道綱母となっている「更級日記」にしても菅原孝標(たかすえ)女(むすめ)となっている まず男ありきなのである 「式部」や「少納言」「伊勢」「和泉」などは官職名であり、「枕草子」の清少納言も苗字が清原であったために清と官職の少納言をくっつけただけの名前なのであるただ、清少納言の少納言は、親族に少納言の官職に就いたものがいないために、何故、少納言となったかは、未だに不明なのであるが紫式部に至っては、父が式部省の式部大丞の藤原為時の娘であったために、当初は、藤式部と呼ばれていたそれが、「源氏物語」を執筆したことで、その中の登場人物である「紫の上」の「紫」を採って紫式部と呼ばれるようになったと言われているだから、紫式部と世間が呼ぶようになったのは、ずっと後のことなのであるここに、話を和泉式部に戻すと、和泉式部は、そこそこ身分のある家の出であり、しっかりとした教育はされてきた女性である最初の結婚相手が和泉守橘道貞だったから、和泉守の和泉を、そして父親の官職が式部であったために和泉式部と呼ばれるようになったのである式部省とは、今の文部科学省のような仕事だったと思われるそれから、道貞と離婚をして、幾人もの男性と愛を重ねていくのである和泉式部にはその道貞との間にできた娘がいたそれが、小式部内侍(こしきぶのないし)である母親と同じ、中宮である彰子に出仕したために、母親の名前と区別するために小式部と呼ばれたこの娘もまた、母親と同じように歌の才はあったそして、母親と同じように位の高い多くの男性と浮名を流した血筋であろうかただ、悲しいことに、小式部内侍は20数才の若さで母親よりも先に逝ってしまったのであるこのときに、母親である和泉式部は、後拾遺和歌集に載っているが、あまりにも哀しい歌を詠んでいる「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」※ 娘の小式部は、親である私と自分の子供をこの世に残して死んでいった娘は、いったい誰を一番不憫に思っているでしょうかやはり、自分の子供を思う情の方がまさっているでしょう私自身も自分の子供を思う情の方がまさっていると分かりましたからどれほどのショックだったか、娘が死んでからのことは、いつの間にか居なくなったようで、どの文献に目を通してもあまり詳しく出ていないその後しばらくして、出家をして、京都中京区の新京極にある「誠心院」の初代住職となって往生したことはわかっているのだが、その没年もわかっていない戒名は誠心院専意法尼となっているただ、それでも、晩年に詠んだとされる歌が残っているそれは、あまりにも有名な百人一首の歌である「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」※もうすぐ私は死ぬでしょうこの世での思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです死の瀬戸際まで、女としての強い魂が泳いでいたのであるしかし、この歌を誰に贈ったのかは、未だ不明である確かに女としての執念はあったが、私には、これが、多くの人が言うような「浮かれ女」とか「男好き」とはやはり違うように思えてならないのであるそれにしても、私は、彼女のどの歌も、当時の女流の詠い手にはない、生身の体当たりを感じてならないのであるだから、恋歌にしろ、哀傷歌にしろ、生々しく艶かしく思えるのかもしれない保田與重郎の「和泉式部私抄」では、「和泉式部の歌は、あの時代に輩出した紫式部、清少納言、赤染衞門、相模などなどの稀代の才女、天才の中にあっても、それらの才女を容易に凌ぎ拔き出るものであった」とある次に続く^^!和泉式部(4)は、思わせ薬の歌に入っていきたいとさて、どうなりますことやら^^!そして、いつになりますことやら^^!!乞う、ご期待です!「生身見せ 歌に残した 人生に 艶かしくも 生々しいかな」「恋渡り 恋上手には 程遠く 世間の噂に 違う絵を見る」 おいおい^^和歌「何思ふ この世のほかの 思い出に もう一度だけ あと一度だけ^^」(おいおい^^)!! 【テーブルマーク】謹賀新年!!貴方が選ぶ冷凍食品詰め合わせ福袋♪ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(3) 第三回となり、ふと気づいたことが 和泉式部って、どんな素性で、どうしてそんな名前なんだろうかと思う人がけっこういるのではないだろうか! 事実、紫式部、清少納言、小野小町が、平安時代の女流文学家のペンネームだと思う人がけっこういるのである 今回は、和泉式部の思わせ薬について書いていこうと思っていたが、それはまた今度にして、彼女の人生の大まかなことを書いていこうと思う 平安貴族の時代、もちろん、生まれてきた女性には名前があったが、貴族世界の文壇では、女性の下の名前を呼ぶという慣習はまったくなかったのである 「蜻蛉日記」の作者にしても、藤原道綱母となっている 「更級日記」にしても菅原孝標(たかすえ)女(むすめ)となっている まず男ありきなのである 「式部」や「少納言」「伊勢」「和泉」などは官職名であり、「枕草子」の清少納言も苗字が清原であったために清と官職の少納言をくっつけただけの名前なのであるただ、清少納言の少納言は、親族に少納言の官職に就いたものがいないために、何故、少納言となったかは、未だに不明なのであるが 紫式部に至っては、父が式部省の式部大丞の藤原為時の娘であったために、当初は、藤式部と呼ばれていたそれが、「源氏物語」を執筆したことで、その中の登場人物である「紫の上」の「紫」を採って紫式部と呼ばれるようになったと言われている だから、紫式部と世間が呼ぶようになったのは、ずっと後のことなのである ここに、話を和泉式部に戻すと、和泉式部は、そこそこ身分のある家の出であり、しっかりとした教育はされてきた女性である 最初の結婚相手が和泉守橘道貞だったから、和泉守の和泉を、そして父親の官職が式部であったために和泉式部と呼ばれるようになったのである式部省とは、今の文部科学省のような仕事だったと思われる それから、道貞と離婚をして、幾人もの男性と愛を重ねていくのである 和泉式部にはその道貞との間にできた娘がいたそれが、小式部内侍(こしきぶのないし)である 母親と同じ、中宮である彰子に出仕したために、母親の名前と区別するために小式部と呼ばれた この娘もまた、母親と同じように歌の才はあったそして、母親と同じように位の高い多くの男性と浮名を流した 血筋であろうか ただ、悲しいことに、小式部内侍は20数才の若さで母親よりも先に逝ってしまったのである このときに、母親である和泉式部は、後拾遺和歌集に載っているが、あまりにも哀しい歌を詠んでいる 「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」 ※ 娘の小式部は、親である私と自分の子供をこの世に残して死んでいった娘は、いったい誰を一番不憫に思っているでしょうかやはり、自分の子供を思う情の方がまさっているでしょう私自身も自分の子供を思う情の方がまさっていると分かりましたから どれほどのショックだったか、娘が死んでからのことは、いつの間にか居なくなったようで、どの文献に目を通してもあまり詳しく出ていない その後しばらくして、出家をして、京都中京区の新京極にある「誠心院」の初代住職となって往生したことはわかっているのだが、その没年もわかっていない戒名は誠心院専意法尼となっている ただ、それでも、晩年に詠んだとされる歌が残っている それは、あまりにも有名な百人一首の歌である 「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」 ※もうすぐ私は死ぬでしょうこの世での思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです 死の瀬戸際まで、女としての強い魂が泳いでいたのである しかし、この歌を誰に贈ったのかは、未だ不明である 確かに女としての執念はあったが、私には、これが、多くの人が言うような「浮かれ女」とか「男好き」とはやはり違うように思えてならないのである それにしても、私は、彼女のどの歌も、当時の女流の詠い手にはない、生身の体当たりを感じてならないのである だから、恋歌にしろ、哀傷歌にしろ、生々しく艶かしく思えるのかもしれない 保田與重郎の「和泉式部私抄」では、「和泉式部の歌は、あの時代に輩出した紫式部、清少納言、赤染衞門、相模などなどの稀代の才女、天才の中にあっても、それらの才女を容易に凌ぎ拔き出るものであった」とある 次に続く^^! 和泉式部(4)は、思わせ薬の歌に入っていきたいとさて、どうなりますことやら^^! そして、いつになりますことやら^^!! 乞う、ご期待です! 「生身見せ 歌に残した 人生に 艶かしくも 生々しいかな」 「恋渡り 恋上手には 程遠く 世間の噂に 違う絵を見る」 おいおい^^和歌 「何思ふ この世のほかの 思い出に もう一度だけ あと一度だけ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みになって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! http//moniplajp/bl_rd/iid16428007265491163d0516d/m547ff3c99ee72/k2/s1/" rel="nofollow">【テーブルマーク】謹賀新年!!貴方が選ぶ冷凍食品詰め合わせ福袋♪http//mpcharleyjp/bl_imgphp?iid=16428007265491163d0516d&m=547ff3c99ee72&k=2" alt="" border="0" style="border0px;" width="1" height="1" />http//trackmoniplajp/mp_track/eff_impphp?e=124020759512601bcca238&m=547ff3c99ee72&i=16428007265491163d0516d&fk=0&kind=2" alt="" border="0" style="border0px;" width="1" height="1" /> http//moniplajp/bl_rd/iid799420815547ecc9928389/m547ff3c99ee72/k0/s0/ http//moniplajp/bl_rd/iid799420815547ecc9928389/m547ff3c99ee72/k0/s0/" rel="nofollow">美味いもの市で一番食べてみたいものは何ですか? ←参加中http//mpcharleyjp/bl_imgphp?iid=799420815547ecc9928389&m=547ff3c99ee72&k=0" alt="" border="0" style="border0px;" width="1" height="1" />http//trackmoniplajp/mp_track/eff_impphp?e=332279414a67e980e553a&m=547ff3c99ee72&i=799420815547ecc9928389&fk=0&kind=0" alt="" border="0" style="border0px;" width="1" height="1" /> 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(2) 恋多き女、男好きと宮中であれこれ噂され、それに反抗する場面もあったようである かつてどの文献だったか忘れたが、そのようなことを書いていた書物を目にしたことがあった 後拾遺の歌の中に、「ぬれぎぬと 人にはいはん 紫の 根摺りの衣 表着(うはぎ)なりとも」とある ※あなたが表でなにを言おうとも、どうぞどうぞです私は、濡れ衣だと堂々というつもりですから ただ、この歌は自分自身のことではなく、娘にへんな噂を流されそうになって母親として毅然たる態度を歌にしたものであるが、自分自身のこともこの歌に託されているように思えてならないのである 自分では、恋多き女とは決して思っていなかったのではないだろうか 逃げて逃げて逃げたこともあった それでも、どうしても自分を求めてくれる男が現れたから、その男のために尽くしたという、実に女女(おんなおんな)していたのではないのだろうか 彼女自身は、運命の男を待ち続けたと言っても過言ではない気がするのである 確かに愛した男はいた だけど、本当にその男は運命の男だったのであろうか そのことを思わせるような歌が残っている 「つれづれと 空ぞ見らるる 思う人 天降(あまくだ)りこん ものならなくに」 ※ついぼんやりと空を見てしまう思う人が天から降りてくることはないのだけど 師宮(そちのみや)没後に詠んだ哀愁説や恋人がどこかに行って傍にいなくなったことを嘆く説など幾つかの説があるが、私は、架空のいつか天から降りてくる運命の男を待ち望んでいると思うのである 高木和子氏著の「和泉式部」の中に、私と同じようなことを感じてるところを見つけたときは、なんとも言いようのない嬉しさが込み上げてきて、「やっぱり!」と思わず叫んでしまったことを思い出した 師宮(そちのみや)のことは追々書いていくつもりである おそらく和泉式部が、生涯の中で一番愛した男である 彼女は、男好きではなく、男をその気にさせる勘違いさせる何かがあったのだろう 彼女は、贈答歌を得意としていたから、その歌の中に思わせ薬でも入れていたから、男はコロリとなったのかもしれない 和泉式部は、自分の言葉にそんな強烈な思わせ薬が潜んでいるとは、全く感じていなかったのかもしれない 私の和泉式部の好きな歌のひとつに、「思はむと 思ひし人と 思ひしに 思ひしかとも 思ほえしかな」がある 和泉式部が道長の選によって、一条天皇の中宮(中宮=天皇の妻)の彰子(しょうし)に仕えることとなったときにすでに伊勢大輔(たいふ)が仕えていて、妙に気が合って長々と話をしたあとに、和泉式部が贈った歌である ※仲良くなりたいと思える人だなと思っていましたが、実際に会ったら思ったとおりの人でした こんな歌をもらったら、みなさんはどう思うのだろうか? 私なら、もう頭のなかが下心でいっぱいになることは確かである すぐに伊勢大輔から返歌が、「君をわれ おもはざりせば 我をきみ 思はむとしも 思はましやは」 ※私のほうこそあなたのことを考えていたのです そうでなければ、私があなたのことを気にしているとはお気づきにならなかったのではないですか? 伊勢も嬉しくてしょうがなかったはずである 残念なことは、伊勢大輔が女性だったこと でも、女が女にこんな歌を贈るくらいだから、男にはもっと思わせ薬の入った歌を詠んでいたのではないかと 彼女の魔性は、きっと彼女自身も知らなかったのではないだろうと思うのである と、いうことで次回に続く^^! 第三回は、思わせ薬がどんなに強烈であったかを書いてみようと思う 「ぼんやりと 空を眺むる その顔に 我は惹かれて 君を眺むる 」 「宵ごとに 君を恋いうる 歌を詠む 酒薄くなる ばかりなりけり 」 おいおい^^和歌 「天降(くだ)り 現われし女(ひと) 運命と 酒の席での くどき文句に ^^」(おいおい^^)!! ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 塩分控えめ♪九州醤油の定番ホシサンの『あまくち醤油』 モニターさん30名募集★ 続きを見る
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(2) 恋多き女、男好きと宮中であれこれ噂され、それに反抗する場面もあったようである かつてどの文献だったか忘れたが、そのようなことを書いていた書物を目にしたことがあった 後拾遺の歌の中に、「ぬれぎぬと 人にはいはん 紫の 根摺りの衣 表着(うはぎ)なりとも」とある ※あなたが表でなにを言おうとも、どうぞどうぞです私は、濡れ衣だと堂々というつもりですから ただ、この歌は自分自身のことではなく、娘がある男にへんな噂を流されそうになって母親として毅然たる態度を歌にしたものであるが、自分自身のこともこの歌に託されているように思えてならないのである 自分では、恋多き女とは決して思っていなかったのではないだろうか 逃げて逃げて逃げたこともあった それでも、どうしても自分を求めてくれる男が現れたから、その男のために尽くしたという、実に女女(おんなおんな)していたのではないのだろうか 彼女自身は、運命の男を待ち続けたと言っても過言ではない気がするのである 確かに愛した男はいた だけど、本当にその男は運命の男だったのであろうか そのことを思わせるような歌が残っている 「つれづれと 空ぞ見らるる 思う人 天降(あまくだ)りこん ものならなくに」 ※ついぼんやりと空を見てしまう思う人が天から降りてくることはないのだけど 師宮(そちのみや)没後に詠んだ哀愁説や恋人がどこかに行って傍にいなくなったことを嘆く説など幾つかの説があるが、私は、架空のいつか天から降りてくる運命の男を待ち望んでいると思うのである 高木和子氏著の「和泉式部」の中に、私と同じようなことを感じてるところを見つけたときは、なんとも言いようのない嬉しさが込み上げてきて、「やっぱり!」と思わず叫んでしまったことを思い出した 師宮(そちのみや)のことは追々書いていくつもりである おそらく和泉式部が、生涯の中で一番愛した男である 彼女は、男好きではなく、男をその気にさせる勘違いさせる何かがあったのだろう 彼女は、贈答歌を得意としていたから、その歌の中に思わせ薬でも入れていたから、男はコロリとなったのかもしれない 和泉式部は、自分の言葉にそんな強烈な思わせ薬が潜んでいるとは、全く感じていなかったのかもしれない 私の和泉式部の好きな歌のひとつに、「思はむと 思ひし人と 思ひしに 思ひしかとも 思ほえしかな」がある 和泉式部が道長の選によって、一条天皇の中宮(中宮=天皇の妻)の彰子(しょうし)に仕えることとなったときにすでに伊勢大輔(たいふ)が仕えていて、妙に気が合って長々と話をしたあとに、和泉式部が贈った歌である 上の「思はむと」の注釈は ※仲良くなりたいと思える人だなと思っていましたが、実際に会ったら思ったとおりの人でした となる こんな歌をもらったら、みなさんはどう思うのだろうか? 私なら、もう頭のなかが下心でいっぱいになることは確かである すぐに伊勢大輔から返歌が、「君をわれ おもはざりせば 我をきみ 思はむとしも 思はましやは」 ※私のほうこそあなたのことを考えていたのです そうでなければ、私があなたのことを気にしているとはお気づきにならなかったのではないですか? 伊勢も嬉しくてしょうがなかったはずである 伊勢大輔が女性だったことが残念ではあるが! でも、女が女にこんな歌を贈るくらいだから、男にはもっと思わせ薬の入った歌を詠んでいたのではないかと 彼女の魔性は、きっと彼女自身も知らなかったのではないだろうと思うのである と、いうことで次回に続く^^! 第三回は、思わせ薬がどんなに強烈であったかを書いてみようと思う 「ぼんやりと 空を眺むる その顔に 我は惹かれて 君を眺むる 」 「宵ごとに 君を恋いうる 歌を詠む 酒薄くなる ばかりなりけり 」 おいおい^^和歌 「天降(くだ)り 現われし女(ひと) 運命と 酒の席での くどき文句に ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 塩分控えめ♪九州醤油の定番ホシサンの『あまくち醤油』 モニターさん30名募集★ 東京紅茶を使用した東京ショコランテ(14枚入)20名様プレゼント(blog) 【昆布漬辛子めんたいのかば田】かば田の福箱5名様プレゼント 【テーブルマーク】今年もお世話になりました!2014年最後の商品モニターイベント ジャンル:芸術 続きを見る ['close']
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