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moonさん
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冬の名残がなかなか去らない二月「暦の上では、もう春なのに…」ついついそんなことをつぶやいてしまう寒さですがv>梅の木はつぼみを膨らませ、春を告げようとしていますのんびり梅を眺めれば遠くから鶯の鳴き声が聞こえてくるかもしれません旧暦2月の異称、如月といい、また「きぬさらぎ」ともいいました現在では、ほぼ3月にあたります「日本書紀」の仁徳紀の中に、奈良県東部の山中に氷室(ひむろ)を造り夏には日本酒のオンザロックを飲んでいたという記事がありその中に「春分(きさらき)」という呼称が用いられています語源説はいくつかありますが、寒さを防ぐために衣をさらに重ねて着る意から衣更着(きさらぎ)にまた陽気が発達する時期であるところから気更来(きさらぎ)になったというのがよく知られています(さらに草木の芽の張り出す月だからこの名がついたという説や旧暦2月は燕が来る時季であるといわれており去年の旧暦8月に雁が来てさらに燕がやって来始める月、すなわち「来更来(きさらぎ)」月が語源だとする説などがあります)その他の2月の別称建卯月(けんぼうげつ)令月(れいげつ)麗月(れいげつ)雪消月(ゆきげづき)梅見月(うめみづき)梅津月(うめつづき)初花月(はつはなづき)木芽月(このめづき)大壮月(たいそうづき)小草生月(おぐさおいづき)中の春(なかのはる)酣春(かんしゅん)春半(しゅんはん)仲陽(ちゅうよう)仲序(ちゅうじょ)為如(いじょ)令節(れいせつ)降入(こうにゅう)華朝(かちょう)美景(びけい)恵風(けいふう)など立春(りっしゅん) 新暦2月4日ごろ⇒旧暦1月節気 太陽が黄経315度の点を通過する時節分の翌日です暦の上では、この日が一年の始めとされたこの日から春になります「春たつ」「春くる」などと春の季語になっています日足が伸び、この頃から気温は上昇に向かい木々もしだいに芽吹き始め春の気配がどことなく感じる時節です春とは言えこの時期はまだ寒さが続きます禅寺ではこの日の早朝、入り口に「立春大吉」と書いた表紙をはる風があるようですまた、立春は雑節の基準日でもあり、八十八夜土用二百十日などを起算するもとになります 雨水(うすい) 新暦2月18日ごろ⇒旧暦1月中気 太陽が黄経330度の点を通過する時雨水とは、今まで降った雪や氷が解けて水となり、降る雪も雨に変わるという意味ですこの頃は、雨水もぬるみ、草木の発芽を促し、萌芽のきざしが見えてくる時候で昔より、農耕の準備などに、この雨水を目安として始められたようです 恵方巻 吉方巻き恵方巻は、大正時代に大阪の商人の間で発祥した風習に由来します当時は、節分の時期においしく漬けあがったお新香を海苔巻きにし商売繁盛を願って食べるというもので、景気づけの意味あいが強かったようです恵方巻は、その年の恵方を向いて丸かじりすると、願い事が叶ったり幸運に恵まれ、無病息災や商売繁盛をもたらすとされていますさらに、縁起よく七福神にちなんで7種類の具を入れ福を巻き込んだ太巻きを食べると良いとされ、福を逃さぬよう包丁で切ったり、途中で喋ったりしてはいけませんまた、太巻きを鬼の金棒(逃げた鬼が忘れていった金棒)に見立てて鬼退治ととらえる説もあります恵方とは、その年の福を授ける年神様(歳徳神)がいる方角でその年最も良い方角とされています[ 2018年平成30年の恵方は 南南東やや右 です ]◆ 初午(はつうま) 初午(はつうま)は、2月の最初の午の日稲荷社の縁日で、雑節の一つとすることがある全国で稲荷社の初午本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年のこの日であったとされ、全国で稲荷社を祀るこの日を蚕や牛馬の祭日とする風習もある江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した本来は旧暦二月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされているそのため、元々は春先の行事だったのが冬の一番寒い時期の行事となってしまった また今では二月最初の午の日とされるが古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言いこれらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある本来は豊作祈願が主でしたが、最近では開運福徳商売繁盛をもたらす神として広く人々にあがめられています◆ 旧正月(きゅうしょうがつ) 旧正月とは旧暦の正月のことで、その年によって日にちは異なります二十四節気の雨水(新暦2月19日ごろ)の直前の朔日(さくび)【新月】が旧暦の元日となり新暦では年によって1月22日から2月19日までの間を移動することになります朔日を元日として始まる新年を大正月といい15日の望の日(満月)を小正月といいます旧正月は中国では春節と呼ばれ、現在でも新年を祝う行事が新暦の正月よりも盛大に行われます旧正月を新年として祝う習慣は韓国や台湾、ベトナム、モンゴルでも見られます日本では、1873年(明治6年)1月1日から新暦(太陽暦/グレゴリオ暦)に改暦された際に新暦の1月を新年として祝うようになりましたが、沖縄、奄美地方の一部では旧正月を新年として祝う風習が残っているところもありますまた、横浜の中華街、神戸の南京町、長崎新地中華街などでは旧正月に春節の行事が行われ、獅子舞や爆竹はこの時季の風物詩となっています 二月は、暦の上では春ですが、まだ寒さが身にしみる季節ですしかし陰暦の名称の如月は、陽気が良くなりつつも寒さが残り衣(きぬ)を更に着るので「衣更着(きさらぎ)」時気が更に発達して来る「気更来(きさらき)」春に向かい草木が更に芽吹き始める「生更来(きさらき)」などの意味があるといわれます新暦では寒い二月も陰暦の二月は現在の三月頃ですからそのような表現も的(まと)を得ております日本で現在の太陽暦の使用開始は明治六年からでそれまでの基本は月の満ち欠けで日を読む暦法でしたでも、月が基準では日付と季節とのずれが生じますそこで正確な季節をあらわす指標として考え出されたのが太陽の運行を基に一年の長さを二十四等分した二十四節気です二十四の節気は年毎に微妙に違いますが、その季節にふさわしい春分、夏至、秋分、冬至といった名称を付け、日付と季節とを一致させました二十四節気は立春から始まります旧暦では、立春に近い新月の日を一月一日としていました立春は春の始まりであると同時に、一年のスタートでもあったのです今でもお正月のことを「新春」「初春(はつはる)」などと呼びますがそのころの名残りが残っているのですね まだ春は産声をあげたばかり実際には気温が最も低い時期ですそれでも、一進一退を繰り返しながら、確実にあたたかくなっていきます日脚も延び、日差しも明るさをましていきますちょうどこの時期にぴったりなのが「光の春」という言葉でしょう俳句では、立春を過ぎると、寒さが厳しくても「余寒」「残る寒さ」「春寒(はるさむしゅんかん)」などといいますどんなに冷え込んでも、心は春なのですねきっと、気温でしか春を感じることができない人よりもずっとたくさんの春に出会うことができるのではないでしょうか二十四節気「立春(りっしゅん)」東風解凍(はるかぜこおりをとく)2月4日頃春の風が川や湖の氷を解かし始める頃「東風」(こち)とは春風を表す代名詞黄鴬睍睆(うぐいすなく)2月9日頃山里で鴬が鳴き始める頃春の訪れを告げる鴬は「春告鳥」(はるつげどり)とも呼ばれます魚上氷(うおこおりをいずる)2月14日頃水がぬるみ、割れた氷の間から魚が飛び跳ねる頃春先の氷を「薄氷」と呼びます【雨水】 うすい:2月19日頃雪から雨へと変わり、降り積もった雪も溶けだす頃という意味です実際にはまだ雪深いところも多くこれから雪が降り出す地域もありますがちろちろと流れ出す雪溶け水に、春の足音を感じます二十四節気「雨水(うすい)」土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)2月18日頃雪がしっとりとした春の雨にかわり、大地が潤い始める頃「脉」は脈の俗字です霞始靆(かすみはじめてたなびく)2月23日頃春霞がたなびき始める頃春の霞んだ月を「朧月」(おぼろづき)と呼びます草木萌動(そうもくめばえいずる)2月28日頃草木が芽吹き始める頃草の芽が萌え出すことを「草萌え」(くさもえ)と言います立春の前日が節分です節分は四季を分ける日でかつては立春、立夏、立秋、立冬の四回ありましたそれが立春から年が始まるという考え方から、いつの間にか節分といえば年が変わる春の節分になりましたすると節分が一年最後の大晦日になります“豆まき”の行事は中国から伝わった追儺(ついな)の儀式と平安時代に行われていた方違(かたたが)えの豆打ちに由来します追儺は「鬼やらい」「鬼走り」「厄落とし」などと呼ばれます中国では二千年以上も前から季節の変わり目に疫病や災害邪気をもたらす鬼を追い払う儀式があり八世紀初めに遣唐使が日本に伝えました節分は、冬ごもりの暗い気分を一掃し、希望にあふれる春を迎えたいという庶民の願いが一つの習俗になったと言えますまた、二月最初の午(うま)の日に、全国的に稲荷社を祀る初午の行事がありますこれは農作物の豊作祈願が稲荷信仰と結びついたお祭りですせつぶんせちぶんと呼ばれる「節分」は二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬」の各季節の始まりの前日のことを指していました「節分」とは、節を分ける季節を分けるという意味があるのです江戸時代以降は、特に立春の前日を指して呼ぶようになり雑節の一つとされています二十四節気の、小寒から立春までとされる大寒の最後の日でもあるため、寒さはこの日あたりが一番厳しいとされてきました季節の変わり目には「邪気鬼が生じる」と信じられていてそれを追い払う「悪霊払い」の行事が行われます節分の日付は毎年「2月3日」ですが、この日付は1985年から2024年までに限られているそうです複雑な話はとても難しいのですが、節分の日付は数十年で少しずつ変わるらしいですが、立春の前日と言うことでの位置は変わりません間接的には天体の運行と、厳密には標準時とも関連するようですが日本以外の世界の国々には「節分を祝う風習がない」ため「旧正月」のように日付の違いで話題にはならないようですと言うことは、「節分」とは日本特有の行事だということになります時候の挨拶(2月如月)〇改まった手紙立春、向春、早春、春浅、春雪、春寒、晩冬、残雪、雪解、余寒、残寒、厳寒、梅花、紅梅、梅月、梅鴬、中陽、節分、寒明け、(上記を使用する場合は「の候」「のみぎり」「の折」のいずれかを繋げる)余寒厳しき折柄春寒ややゆるみ寒気は冴えかえり余寒なお去りがたき折から立春とは名のみの寒さ三寒四温の時節暦の上に春は立ちながら〇親しい人への手紙春の陽気が待ち遠しい今日この頃雪解けの水もようやくぬるみ梅便りが聞こえる今日この頃冬の名残りがなかなか去らず鶯の初音が聞かれる頃となりましたいくらか寒さも緩み寒さの中にも春の足音が聞こえてきます 【新登場】アンデルセンミニ食パンのモニター5名様募集! 続きを見る
◇紫陽花(あじさい)ba619294jpg" title="IMG_2475" target="_blank">梅雨には紫陽花がよく似合いますしっとりと濡れた姿も美しく、梅雨ならではの風情を感じますあじさいの花びらに見えるのはガクで、中心部にあるのが花だということは知っていてもそれ以外のことは案外知らないものそこで、梅雨に役立つあじさいの豆知識をご紹介します◆なぜ「紫陽花」と書いて「あじさい」と読むの先に「あじさい」という呼び名があり、後から「紫陽花」という字をあてたからですあじさいの語源には諸説ありますが、最も有力なのは藍色が集まったものを意味する「集真藍(あづさあい/あづさい)」がなまったという説が有力とされていますあじさいは大変古くから親しまれていて、日本最古の和歌集『万葉集』では「味狭藍」「安治佐為」、平安時代の辞典『和名類聚抄』では「阿豆佐為」と書かれていますそれが「紫陽花」になったのは、唐の白居易が別の花につけた「紫陽花」を平安時代の学者が「あじさい」にあてたからだといわれていますもともとは日本固有の植物でしたが、長崎に来たシーボルトが恋人のお滝さんにちなんで「オタクサ」という名をつけ海外に紹介したといわれていますそれ以来、西洋でも親しまれるようになり、様々な品種改良を経て日本に逆輸入されるようになりましたよく見かける手まり状に咲いているものが「西洋あじさい」日本原産の「額あじさい」は、額縁のように周囲にだけ花(実際にはガク)が咲きます◆あじさいの色の変化日本の土壌だと青紫が主流改良品種は色が変わらないものが多いあじさいは、土壌のph(水素イオン濃度指数)が酸性だと青系にアルカリ性だと赤系に、中間だと紫系になりますしかし、品種改良されたものは色が変わらないものが多いです日本は火山地帯で雨も多く弱酸性の土壌が多いため、青系や紫系が主流ですが欧州ではアルカリ性の土壌が多いため、赤系が主流となっています美しい青紫のあじさいは、日本だからこそなんですね◆日本と西洋の名前の違い日本では、前述したようにあじさいを「紫陽花」「集真藍」と書きますまた、色が変わることから「七変化」「七変草」という別名もありいずれも色に着目しています一方、西洋あじさいは「ハイドランジア」と呼ばれていますこれはラテン語で「水の器」という意味です雨に映えるからと思いきや他の草花に比べて葉の気孔が多く、水をたくさん欲しがるからだとかその分、水さえしっかり与えれば、日陰でも育つ丈夫な花なのです日本と西洋では目のつけどころが違うのがおもしろいですね◆あじさいのおまじない6月の6のつく日に、あじさいを逆さまに吊るしておくと厄除けになるといわれています玄関に吊るせば厄除けになりお金が貯まる部屋に吊るせばお金に困らない、トイレに吊るすと病気(婦人病)にかからないなどいろいろな説があります理由は、昔から商売繁盛を願って蜂の巣を吊るす風習がありあじさいが蜂の巣に似ていることから、金運の花とされているから病気除けは、寝(根)付かず健康に通じるからだとされていますあじさいは人気が高く、盛んに品種改良されているので多種多様の品種があり楽しめます梅雨空の下、美しく咲く紫陽花は私たちの心を和ませてくれるもの梅雨ならではの風情をぜひ愉しんでください6月になると、青やピンク色に色づいた花を咲かせる紫陽花小さな花が集まって、丸い花の形を作っている姿がかわいらしいですね「辛抱強い愛」など、偉大な母親へ贈るのにピッタリな花言葉をもっていることから近年では母の日に贈る花束として1番人気になることもあるようです花言葉『乙女の愛』『辛抱強い愛』『移り気』『浮気』白色:寛容青色:忍耐強い愛ピンク色:元気な女性アジサイは、ポジティブな花言葉とネガティブな花言葉をもっています「移り気」「浮気」といったネガティブな花言葉は土の成分によって花色が変わる性質に由来しています一方、ポジティブな花言葉は、江戸時代に起こったあるエピソードに由来しています江戸時代、ドイツ人医師シーボルトは、お滝さんという美しい女性との間に娘をもうけますが、やがて国外追放となって日本を去ることとなりましたドイツに帰国するとき、アジサイを持ち帰り、お滝さんにちなんで「オタクサ」という名前で紹介したことから『乙女の愛』『辛抱強い愛』といった花言葉がつきましたまた、花が寄り添って咲いている様子からも日本ではポジティブな花言葉の印象が強いとされています名前の由来アジサイの学名「Hydrangea」は、ギリシャ語の水(hydro)+器(angeion)で「水の器」「水がめ」を意味しています水を好み、乾燥するとすぐに元気がなくなってしまうアジサイの性質が由来となっていますまた、和名の「アジサイ」は、あづ(集まる)+さあい(真藍青い花)という花が咲いている様子からきており、それが変化したものとされていますアジサイの歴史万葉集の中にもアジサイを詠んだ句があるほどアジサイは古くから日本人の身近な花でしたしかし、花色が移り変わることが悪いイメージを連想させ、最初は人気がありませんでした人気が出はじめたのは、ハイランドシア(西洋アジサイ)の名前でヨーロッパから逆輸入されてから日本からヨーロッパへ伝わったアジサイはどんどんその名を広めていきましたフランスでは「日本のばら」と呼ばれついには桜や椿と並んで日本を代表する花として知られるようになりましたアジサイには、毒があるという話を聞いたことがある方もいるかとおもいます実際、2008年6月に料理に添えられていたアジサイを食べて中毒症状を訴える事例が大阪府と茨城県の計2件起こりましたその後の調査によると、毒性が含まれている品種と含まれていない品種が混在していることがわかり一概に毒性があるとは言い切れないものの厚生労働省は食用としては使用しないようにと注意を促していますもし毒性のあるアジサイを体内に取り込んだ場合吐き気めまい嘔吐顔面紅潮といった症状が現れ23日で症状が治まるといわれていますアジサイの開花時期は57月です6月上旬7月上旬頃、つまり梅雨が最も見頃の時期です梅雨の時期には、全国各地のアジサイの名所が中心となって催し物やアジサイ祭りなどが開催されていますよまた、あえて秋までアジサイの花を切らずに残して緑や赤色へと変化する姿を楽しむ「秋色アジサイ」が流行っているので機会があれば足を運んでみてください ガクアジサイ ホンアジサイ ヤマアジサイ アナベル梅雨のじとじとした雨の中でアジサイを見つけると憂鬱だった気持ちも少し晴れやかになっていきますアジサイは様々な形や色があり、また花色によって花言葉も変わる植物です知らない品種のアジサイに出会えるワクワクをもちながらあえて雨の降る町中を歩いてみるのも面白いかもしれませんハイドランジア 雨が似合う「紫陽花の名所」12選 <a href="http//blogrankingnet/" target="_blank"><img src="http//bannerblogrankingnet/nosbanner?13597" alt="ブログランキング ドット ネット" border="0"/></a> <a href="http//rankingkurutenjp/rankinphp" target="_blank">くる天 ブログランキング</a> Twitterブログパーツ 【先行モニター】スゴーい!新商品を100名様にプレゼント! 続きを見る ['close']