『サブウェイファンサイト』
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日本サブウェイ合同会社 |
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株式会社イートアンドホールディングス
5名 |
1月6日(月)まで |
子供時代の貧しかったことを忘れてはならないと思う。私の願いはだだ1つセレブになることです。あの頃は皆、貧乏でしたね。日本全体が、豊ではありませんでした。
最近、7歳ぐらいの子供時代のことを思い出すことが多いのです。
小遣いは10円か、20円で1ヶ月300円もらえれば、グーの時代でした。
勉強など大きらいで、学校から帰ると、すぐ外へ飛び出していく元気な子供でした。
私の家の裏手にお寺があり、そこは戦争の傷跡がそのままになって、解放されている境内の釣り鐘堂の下に、子供たちが集まってくる時間帯をみはからって、紙芝居屋のオジサンが来ていました。
赤ちゃんが食べるような薄いせんべいに、あんこや、うめ、錬りアメなどなどはさんでで売っていました。
そこに来る子供は、下層階級の子供がおおく、皆ほこりっぽい顔をして、青っぱなを垂らしたいました。先のことなど考えない。その場が楽しく、おもしろければよかったのです。
その楽園にいきたくて、母の財布から小銭を盗んだこともあります。
米粉でつくったきれいな、ピンク色をした、かた抜きがすきで、上手に抜いたら、景品をくれました。はりで、つばをつけながら、上手に抜きました。そのころから、ギャンブル好きだったかも知れません。
景品の、錬り飴を食べながら、 オジサンの7色の声がおもしろく、 黄金バットや、おそ松くん、フクちゃんの話を、真剣に耳を傾けていました。
子供たちも純情でした。
昭和30年の後半、私の中でセピア色に変わリます。
セレブになりたどうしてもセレブになりたい!貧乏だと、どうしても考え方が意固地になってしまいます。教育も満足に受けられません。教育も受けないで育てば、職業も安定せず、それなりの生活圈の中で暮らして行かなければなりません。そして、結婚して子供が生まれ、その子供も、その親を見て育ちます また、そのような貧しい生活を余儀なく強いられます。そこから脱却しようとする人は別ですけど・・・・・・。
あれから 半世紀が過ぎようとしている、外観は変わったけど、心はちっとも変わっていまません
貧しさを経験しています。悲しみを体験しています。
毎日、懸賞のモチべーションを上げ、「現金50万が欲しい」「ダイヤが欲しい」「ハワイへ行きたい」
と願っています。
懸賞の情報は、探せばいくらでもあります。専門の雑誌も売っています。
生活の80%は懸賞で成り立っています。元来ギャンブル好きのわたしです。
専業主婦を真面目にやっているときりがありません。でも32年間専業主婦でいられたことに感謝しています。
お坊さんの都合で、お盆の前倒しで浜松に帰ったとき、近所の人たちが口をそろえて
「雅子ちゃんは、いい旦那さんを持って幸福だねえ」
いわれました。人生の大当たりは夫と一緒になったことかもしれません(のろけてごめんなさい)
さあ洗濯をさっさとすませ、あの当たるポストまでいってこよーっと
http://monipla.jp/bl_rd/iid-15969044494f57009ba5dfe/m-4b66635e5c4ec/k-2/s-0/
懸賞奥さん 2012-03-22 11:50:42 提供:日本サブウェイ合同会社
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