『東京ラスクのファンサイト』
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私の受験は、高校受験、大学受験、就職試験、資格試験など数々の思い出があります。
どれも全力を尽くして向きあってきたものばかりなので、
それぞれに深い想い出があるのですが、
一番時間をかけて頑張ってきて、記憶に強く残っているのはやはり大学受験です。
今回は、その大学受験の思い出を書いていこうと思います。
私が小学生のころから、母方の実家のお墓にお参りするときに前を通る、
地元の国立大に行くようにと、両親から言われていました。
実際に私が小学生の娘を持つようになった今、
そりゃぁあまりにも子供に対する期待が早すぎるだろう…と今さらながらに思いますが、
両親の要望がなければ、明確な将来の夢をもったわけでもない私は
どこの大学を目指せばいいかなど分からないままだったと思います。
ほとんどの学部が揃っている総合大学でしたので、
何を目指すとしても、どうしてもほかの大学でなければならない、
などということはありませんでした。
私は考えがしっかりした子供ではなかったので、
「とにかく、親の納得するところに入れればいいや~」
くらいの気持ちでしかなかったと思います。
学部を選ぶ際にも、どこに行ってどんな道を進みたいか分からない、
という非常にあいまいな状態だったので、
とりあえず偏差値から可能性のありそうな、教育学部になりました。
これは後日談になりますが、
私、全然教員には向いてなかったなぁ、と、
子供ができてから分かりました。
まぁ、免許が取れても採用試験には合格しなかったので、
教員として過ごすことは、全くなかったのですが…。
さて、受験の話に戻ります。
中間テスト・期末テストよりも、
実力テストのほうがわりに良い順位をとれていたので、
受験そのものはそう不安に思っていませんでした。
公務員試験でも3つの内定をもらっていたので、
本命の大学に合格しなければ、就職すればいいと思っていました。
記念受験として県内の私立大も2か所受験しました。
合格しましたが、入学する気はなかったので入学金は納めませんでした。
受験だけでも何万円もするのに、入学するかどうか分からない大学に
何十万円も、とりあえず納める、というのはあまりにももったいなかったのです。
両親もお金持ちではなく質素に暮らしてきた庶民でしたし、
入学金、入れようか?とも聞かれませんでした。
この辺が、周りの友人たちのご両親と違うところです。
なにがなんでも、娘を大卒にしたい…という気持ちはなかったのです。
私立大の受験が済み、いよいよセンター試験の前期試験です。
そのころ私が試験のたびに持っていたお守りがありました。
高校には大好きな先生がいて、
私は放課後いつも分からないところを教えてもらっていました。
その先生の書いてくれたプリントを、まとめて袋に入れ、
スカートのお腹の部分に挟んでいました。
ええ、もちろんカンニングなんて生まれてこのかた、
一度もしたことはありません!
純粋におまもりとして、お腹の前にいつもいてもらいました。
もし試験官に何か言われても良いように、
勉強内容を書いてないプリントだけを使っていましたし。
そのころから冷え症で寒がりだった私は、
テストのプレッシャーでお腹が痛くなることが多々ありました。
でも、不思議とそのプリントのお守りがお腹の前にあると、
お腹があったかくなって、痛くならないのです。
もしかしたら、先生のプリントでなくっても良かったのかもしれません。
紙の持つ断熱効果は、障子にも見られるようにかなりのものがあります。
紙1枚でも侮れないのです。
でも、私はそのお守りに、単なる紙以上の信頼感を持っていました。
今までの頑張りがあるから、私はきっと大丈夫、そう信じていました。
試験のたびにお腹に挟んでいたプリントは、折れ曲がっていました。
でもずっと、私の大切な大切なお守りでした。
前期試験の日にも、寒い雨の中、冷えた体であっても
腹痛を起こすことなく、受験することができました。
受験祈願といって何かを断ったりすることはしませんでしたが、
このお守りだけはどこの試験へも必ず持っていきました。
試験後の自己採点では、先生に教えてもらった教科は100点満点中の90点でした。
1教科のみの前期試験だったのと、センター試験はボーダーラインを超えていたので
大丈夫だろう、と、呑気に小学校時代からの友人と東京へ卒業旅行に出かけました。
試験の結果発表は東京にいる日に行われました。
友人と東京タワーに上り、そろそろ分かったよね、と
展望台の公衆電話から実家にかけた電話で母が言った言葉…
「桜、散ったよ…」
頭のなかが真っ白でした。
自己採点では絶対大丈夫って自信があったのに。
呑気に旅行している自分が恨めしかったです。
突然暗くなってしまった私に、
親友もびっくりしました。
それから以降の東京での写真は、
私の表情がどれも強張っています。
17歳にして味わった強烈な挫折感。
うわ、私、大学行けないのかも…
浪人して、というほどの執着感はなかったのですが、
神様を恨みました。
東京タワーのここから落ちたら確実に死ねるだろうな~なんて思いました。
もっとも、外に出られないので落ちようもないし、
そこまで真剣に悩むほど頑張ってこなかった自分が悪いのです。
旅行から帰ってきて、しばらく後に後期試験の発表がありました。
後期試験は同じ教育学部でもワンランク易しい学科を選んでいました。
そして後期試験はセンター試験の点数のみでの選考でした。
でも、前期試験を受けた学部で、あれほどまでに二次試験の結果が良かったのに
落ちたのだから、学科が違っていても、センター試験の点数だけでは
もはや無理なのでは…というあきらめ感がありました。
母と二人で、ラジオ放送での合格発表を聞きました。
私の名前が読み上げられた時、
いつも厳しくて怒っていた母が、満面の笑顔で、
おめでとう!よく頑張ったなぁ!と飛び上がって喜びました。
私も、驚きと喜びでいっぱいでした。
自分の将来を見据えていたわけではなかったけれども、
勉強は随分頑張ってきた中学・高校時代。
やはり報われるのは嬉しいモノです。
母があれほどまでに喜んだのは、私の知っている限り最大だったと思います。
私が結婚した時も、子どもを産んだ時も、
喜んではくれましたが、大学に合格したことを喜んでくれたときに比べれば
もう少し控えめだったと思います。
受験って…勉強するのは子供でも、
親も一緒に心配して、悩んで、不安でいるモノなんです。
だからこそ、あんなに喜んでくれた。
私にとっての受験のお守りは大学受験を最後に、そっとしまってしまいました。
でも、この受験のことは、もう20年近く経とうかという今でも、
ずっとずっと、鮮明に覚えています。
BRUYANT 2010-03-04 14:11:16 提供:株式会社グランバー東京ラスク
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