『井村屋 モニプラ王国』
アクセスいただきありがとうございます。大変申し訳ございませんが、当ファンサイトは
モニプラ内でのサービスを終了させていただいております。
終了したイベント、モニターに関するお問い合わせは、下記までお願いいたします。
お問い合わせ先 |
井村屋株式会社 |
---|
井村屋さんです
ブログテーマは、『お母さんとの思い出』
私の母は、23歳で私(第一子)を出産しました
まぁ、今の時代とは違い、高校を卒業してすぐ就職していたので、社会人歴もそこそこあったと思います
母は小さいころの両親が離婚し、父に引き取られて成長したそうです
私も、27歳になった今でも、母の母には2度しか会ったことがありません。
まぁ、会えるだけいいのかな、とも思いますが…。
母の偉大さを知ったのは、結婚が決まった時です。
結婚し、名字が変わる。
主人と新しい家庭を築いていく。
その時、母から、私が生まれてからずっと、すこしづつ貯めていてくれたお金を渡されました。
『これはあなたのためにお母さんとお父さんが貯めていたもの。
あなたに渡すから、好きなように使いなさい』
結婚し、出産し、今は二人の女の子のママになりました。
母と同じように、二人の女の子のママです
今思えば、昔から『お金がないから』という理由でさせてもらえなかったことはありませんでした。
うちは両親共働きですし、私が小さいころは父の両親も健在でした。
なにより、苦しかった時期もあるでしょうが、子供たちには『お金がない』という姿は見せないようにしていたと思ます。
小学生のころはピアノにそろばん、バスケット、学習塾。
中・高校生のころは学習塾にそろばん。
専門学生のころは予備校に通わせてもらいました。
16歳になれば中型二輪免許を、18歳になれは普通自動車免許を取りに行かせてもらいました。
今、母と同じ二児の母になり、私は母と同じように子供にできるのかと思います。
今思うと、本当にお金のかかった子供たちだったと思います
『お母さんは、お母さんがいなかったから、あなたたちの育て方があっていたのかわからない』
と、結婚式の時にボソっと言っていました。
小さいころに両親が離婚し、金銭面でも厳しい思いをしていたからこそ、自分の子供にはやりたいことはさせてあげたいと思っていたようです。
私はそんな母に感謝していますし、母がいたからこそ、今の私がいると思っています。
悪いことをすれば手が飛んでくる(笑)ような家でしたが、そんな母だったからこそ、悪いことは悪いと学びました。
今振り返ると、本当にくだらないことで母を怒らせていたんですね…
そんな母には、ひ孫を見るまで、いや、玄孫をみるまで元気でいてほしいと思います
http://monipla.jp/bl_rd/iid-2108295877534f6b1e7c874/m-52f8b9b761608/k-0/s-0/
井村屋株式会社 http://www.imuraya.co.jp
美菜 2014-05-07 16:02:56 提供:井村屋株式会社
Tweet |
あずきバー、肉まん・あんまん、ゆであずきようかん、カステラ及びフードサービス事業など多彩な商品とサービスで皆様にご愛顧いただいております。
「おいしい!の笑顔をつくる」のミッションの下、和と自然の味を生かし「楽しい商品・優れたサービス」を提供し続けてまいります。
2012年に井村屋「ゆであずき」が発売50周年、2013年に「あずきバー」が発売40周年を迎えました。これからも世代を問わず多くの方に愛される心のこもった味と品質をより高めていきます。
今後ともあずきをコアにした商品づくりにご期待ください。