彷徨さん
古いタイプの人間だとよく言われます。
好きな言葉は「連帯を求めて孤立を恐れず」。別に全共闘とは関係ありません。ただ、付和雷同は大嫌いなだけ。本ブログは一応日記となっていますが、基本的には、心に浮かんだままのあらゆるジャンルを書いているようです。
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変色してしまったが、傷や汚れはない一枚の年賀状 昭和47年の正月だから、もう四十年も前の品 それが、彼からの年賀状の一枚目だった 彼は大学時代に同じセミナーにいた 卒業してからは、別々の道一度も会っていない そこには、手彫りの版画に添えて、一言書いてあった 「仕事中の労災事故で左手の指を第一関節から先だけど、二本失くした自分もショックだったが、親が嘆き悲しむのがもっと辛かった」と 大学時代から、目立たないがいつも穏やか 続きを見る
私は中学、そして進学した学区制のあった地区での一番の進学校でも成績はいい方でした ちなみに、当時は偏差値などなかったのですが、知能指数というのがありまして、まあ、五段階評価の3.5くらいのところ並みよりはいいというところですか そんな凡人が成績上位を維持できた理由は二つしかありません 進学校に行き、一発で家から通える国公立大学の理系に行けという半ば両親の命令に従っただけ父は小学校だけで随分引け目を持っていたようで、それを知っている私は、父の命にそむけま 続きを見る
家庭教師は、私自身が大学の頃、もっとも、これは昭和40年代と古すぎますが、私の子供も、これはまだ十年も経っていません時期に経験しました こう申しては何ですが、親子揃って、並みの知能指数なのですが、こつこつやることと記憶力だけは自慢、そして、本を(ここでいう本とは、雑誌やコミックは含みません)をよく読んだので、理系人間にも関わらず、英語を除けば大抵の学科はこなせました ただ専攻した履修科目のせいで、教員免許資格はなかったのが、今となっては残念です 続きを見る
本稿は、おそらく今回の震災で大なり小なり被害を受けられた方たちを支援することや復旧を急ぐことに対する即効薬にhならないと思いつつ、あえて今だからできることを教育という視点から記させて頂きました なぜ今か それは、世論の動きがこうした災害それに原発の安全性等に向いている時だからです今すぐに手を打たなければいけないことは山積みですが、「教育」という視点から見た場合に今しかできないかもしれないことがあります そして、そうしないことには、今後も同じような災害 続きを見る
学校を卒業、そして就職その後は公私ともに馬車馬のごとく駆け抜けた数十年の歳月その挙句のバブル崩壊による失業等を経て、還暦近くになって、やっと実現した本当にやりたかったことがあります おそらく反面教師的な意味しか持たないと思いますが、皆さまの何かの参考にでもと記しました 諸事情から、文系に進みたかったのですが、当時(1960年代半ば)の社会や家庭の事情で、結果的は理系を選択することになりました これは、高校が進学校故、高校入学時に決まってしま 続きを見る