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cafepisukeさん
■ブログ 珈琲貴族の31文字の酔ひ綴り__≪酔ひ月和歌集≫
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珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 和泉式部(2) 恋多き女、男好きと宮中であれこれ噂され、それに反抗する場面もあったようである かつてどの文献だったか忘れたが、そのようなことを書いていた書物を目にしたことがあった 後拾遺の歌の中に、「ぬれぎぬと 人にはいはん 紫の 根摺りの衣 表着(うはぎ)なりとも」とある ※あなたが表でなにを言おうとも、どうぞどうぞです私は、濡れ衣だと堂々というつもりですから ただ、この歌は自分自身のことではなく、娘にへんな噂を流されそうになって母親として毅然たる態度を歌にしたものであるが、自分自身のこともこの歌に託されているように思えてならないのである 自分では、恋多き女とは決して思っていなかったのではないだろうか 逃げて逃げて逃げたこともあった それでも、どうしても自分を求めてくれる男が現れたから、その男のために尽くしたという、実に女女(おんなおんな)していたのではないのだろうか 彼女自身は、運命の男を待ち続けたと言っても過言ではない気がするのである 確かに愛した男はいた だけど、本当にその男は運命の男だったのであろうか そのことを思わせるような歌が残っている 「つれづれと 空ぞ見らるる 思う人 天降(あまくだ)りこん ものならなくに」 ※ ついぼんやりと空を見てしまう思う人が天から降りてくることはないのだけど 師宮(そちのみや)没後に詠んだ哀愁説や恋人がどこかに行って傍にいなくなったことを嘆く説など幾つかの説があるが、私は、架空のいつか天から降りてくる運命の男を待ち望んでいると思うのである 高木和子氏著の「和泉式部」の中に、私と同じようなことを感じてるところを見つけたときは、なんとも言いようのない嬉しさが込み上げてきて、「やっぱり!」と思わず叫んでしまったことを思い出した 師宮(そちのみや)のことは追々書いていくつもりである おそらく和泉式部が、生涯の中で一番愛した男である 彼女は、男好きではなく、男をその気にさせる勘違いさせる何かがあったのだろう 彼女は、贈答歌を得意としていたから、その歌の中に思わせ薬でも入れていたから、男はコロリとなったのかもしれない 和泉式部は、自分の言葉にそんな強烈な思わせ薬が潜んでいるとは、全く感じていなかったのかもしれない 私の和泉式部の好きな歌のひとつに、「思はむと 思ひし人と 思ひしに 思ひしかとも 思ほえしかな」がある 和泉式部が道長の選によって、一条天皇の中宮(中宮=天皇の妻)の彰子(しょうし)に仕えることとなったときにすでに伊勢大輔(たいふ)が仕えていて、妙に気が合って長々と話をしたあとに、和泉式部が贈った歌である ※仲良くなりたいと思える人だなと思っていましたが、実際に会ったら思ったとおりの人でした こんな歌をもらったら、みなさんはどう思うのだろうか? 私なら、もう頭のなかが下心でいっぱいになることは確かである すぐに伊勢大輔から返歌が、「君をわれ おもはざりせば 我をきみ 思はむとしも 思はましやは」 ※私のほうこそあなたのことを考えていたのです そうでなければ、私があなたのことを気にしているとはお気づきにならなかったのではないですか? 伊勢も嬉しくてしょうがなかったはずである 残念なことは、伊勢大輔が女性だったこと でも、女が女にこんな歌を贈るくらいだから、男にはもっと思わせ薬の入った歌を詠んでいたのではないかと 彼女の魔性は、きっと彼女自身も知らなかったのではないだろうと思うのである と、いうことで次回に続く^^! 第三回は、思わせ薬がどんなに強烈であったかを書いてみようと思う 「ぼんやりと 空を眺むる その顔に 我は惹かれて 君を眺むる 」 「宵ごとに 君を恋いうる 歌を詠む 酒薄くなる ばかりなりけり 」 おいおい^^和歌 「天降(くだ)り 現われし女(ひと) 運命と 酒の席での くどき文句に ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 塩分控えめ♪九州醤油の定番ホシサンの『あまくち醤油』 モニターさん30名募集★ 東京紅茶を使用した東京ショコランテ(14枚入)20名様プレゼント(blog) ジャンル:芸術 続きを見る ['close']
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珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 藤原定家が撰した百人一首、女流歌人は21人である 内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名である 女房とは、今の時代の妻を表すものでなく、貴族社会において皇族などに仕える部屋付きの女性のことを呼ぶ ただ、炊事洗濯などの雑用は一切しない、今の世で言えば、省庁に入って大臣などの世話をする秘書なのかも知れない 百人一首などに出てくる女性は、おそらく有閑マダム的な特権階級であったのだろう 私は、その一人であった清少納言が好きでたまらない 彼女の随筆「枕草子」は、1000年以上経った今でも彼女の息遣いが聞こえてくるほどである 私が平安時代に生きていたとするなら、街を歩くなら小野小町、付き合うなら清少納言、妻にするなら赤染衛門、浮気をするなら和泉式部、そして老後は伊勢と歌を詠みながらにしたいと思う 付き合うなら清少納言、それは何より鼻っ柱が強いそこが清少納言の魅力なのである 百人一首の中で、定家は清少納言の歌 「夜をこめて 鳥のそら 音ははかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 を選んだ 私はどうしてこの歌を百人一首に定家が撰んだのか、わかる気がする この歌は、司馬遷の「史記」の中にある孟嘗君の故事からの応用である この故事を知らないものが読んだら、おそらく意味がよくわからない歌なのである 私も「史記」を読むまでは、表面、そしてこの歌の持つ清少納言の一流さがわからなかった 当時、漢詩を女性が読んだり書いたりすることは珍しく、清少納言や紫式部はそれが出来ていた そのことが、定家の目に留まったのかも知れない そしてそれは、定家自身の漢詩の造詣を誇示するために故意に撰んでの自信の表れだったのかもしれない あの世で定家に会うことができれば、是非に聞いてみたいと思う 私が撰者であれば、 「もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは かへるものかは」 と「枕草子」にもあるようなものを安易に撰んだかもしれない 「故事談」、鎌倉時代の初期の説話集に清少納言がでてくる 「故事談」、どこまで本当のことが言い伝えとなって書かれているのか疑問であるが、かなりおもしろい逸話説話集である その中で、晩年の彼女は、荒れ果てた屋敷に住み、昔の面影もなかったらしい ある日、天上人の行列で清少納言の屋敷の前を通ったときに、その天上人は「少納言は無下(むげ)にこそ成りにけれ」と言った 無下とは、みすぼらしく落ちぶれたことを言う 彼女はそれを聞き漏らさず、その言葉に「駿馬の骨をば買はずやありし」と返した これも中国の戦国策の逸話から来ている 「主人に千金の駿馬を求めて出掛けたものが、死馬の骨を五百金で買ってきた主人は死馬を買ってきたことに怒り心頭である」が、その死馬を買った郭隗は平然と「駿馬を求めて、死馬でさえ五百金で買おうとする者の許には生きた駿馬が多く集まってくるだろう」と答えた 結果は、郭隗の言うとおりに どんなに落ちぶれようと、清少納言は清少納言であってほしい 何よりも自分自身を買って、自分自身を愛した清少納言、あっぱれである 剃髪をし、出家したところまでわかっているらしいが、没年は不明である だったら清少納言は、まだ生きているのかもしれないと、そんな妄想戯言もまた楽しいものである 次回は、良妻賢母と言われる赤染衛門とその百人一首に触れてみようと思う 「殿方に 負けたくないと 意地だけの 清少納言の 息遣いを聞く」 「己(おのれ)才 自分に溺れる 少納言 零落であろうと 我ここにいる」 おいおい^^和歌 「清ちゃんと 平安京の 夜を過ごす 枕の相思で 朝までイチャイチャ^^」(おいおい^^)!! ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 【摘みたて旬の味『全判焼海苔』モニター50名様大募集!】 ←参加中 続きを見る ['close']
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 藤原定家が撰した百人一首、女流歌人は21人である 内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名である 女房とは、今の時代の妻を表すものでなく、貴族社会において皇族などに仕える部屋付きの女性のことを呼ぶ ただ、炊事洗濯などの雑用は一切しない、今の世で言えば、省庁に入って大臣などの世話をする秘書なのかも知れない 百人一首などに出てくる女性は、おそらく有閑マダム的な特権階級であったのだろう 私は、その一人であった清少納言が好きでたまらない 彼女の随筆「枕草子」は、1000年以上経った今でも彼女の息遣いが聞こえてくるほどである 私が平安時代に生きていたとするなら、街を歩くなら小野小町、付き合うなら清少納言、妻にするなら赤染衛門、浮気をするなら和泉式部、そして老後は伊勢と歌を詠みながらにしたいと思う 付き合うなら清少納言、それは何より鼻っ柱が強いそこが清少納言の魅力なのである 百人一首の中で、定家は清少納言の歌 「夜をこめて 鳥のそら 音ははかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 を選んだ 私はどうしてこの歌を百人一首に定家が撰んだのか、わかる気がする この歌は、司馬遷の「史記」の中にある孟嘗君の故事からの応用である この故事を知らないものが読んだら、おそらく意味がよくわからない歌なのである 私も「史記」を読むまでは、表面、そしてこの歌の持つ清少納言の一流さがわからなかった 当時、漢詩を女性が読んだり書いたりすることは珍しく、清少納言や紫式部はそれが出来ていた そのことが、定家の目に留まったのかも知れない そしてそれは、定家自身の漢詩の造詣を誇示するために故意に撰んでの自信の表れだったのかもしれない あの世で定家に会うことができれば、是非に聞いてみたいと思う 私が撰者であれば、 「もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは かへるものかは」 と「枕草子」にもあるようなものを安易に撰んだかもしれない 「故事談」、鎌倉時代の初期の説話集に清少納言がでてくる 「故事談」、どこまで本当のことが言い伝えとなって書かれているのか疑問であるが、かなりおもしろい逸話説話集である その中で、晩年の彼女は、荒れ果てた屋敷に住み、昔の面影もなかったらしい ある日、天上人の行列で清少納言の屋敷の前を通ったときに、その天上人は「少納言は無下(むげ)にこそ成りにけれ」と言った 無下とは、みすぼらしく落ちぶれたことを言う 彼女はそれを聞き漏らさず、その言葉に「駿馬の骨をば買はずやありし」と返した これも中国の戦国策の逸話から来ている 「主人に千金の駿馬を求めて出掛けたものが、死馬の骨を五百金で買ってきた主人は死馬を買ってきたことに怒り心頭である」が、その死馬を買った郭隗は平然と「駿馬を求めて、死馬でさえ五百金で買おうとする者の許には生きた駿馬が多く集まってくるだろう」と答えた 結果は、郭隗の言うとおりに どんなに落ちぶれようと、清少納言は清少納言であってほしい 何よりも自分自身を買って、自分自身を愛した清少納言、あっぱれである 剃髪をし、出家したところまでわかっているらしいが、没年は不明である だったら清少納言は、まだ生きているのかもしれないと、そんな妄想戯言もまた楽しいものである 次回は、良妻賢母と言われる赤染衛門とその百人一首に触れてみようと思う 「殿方に 負けたくないと 意地だけの 清少納言の 息遣いを聞く」 「己(おのれ)才 自分に溺れる 少納言 零落であろうと 我ここにいる」 おいおい^^和歌 「清ちゃんと 平安京の 夜を過ごす 枕の相思で 朝までイチャイチャ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 【摘みたて旬の味『全判焼海苔』モニター50名様大募集!】 ←参加中 【年末お年玉特別企画】びっくりドンキーデミグラスハヤシモニター【500名様】 続きを見る
珈琲貴族の文学と仏教のブログ^^ ↑クリック^^ 「珈琲貴族のBourbon Salonほろ酔い気分で<文学と音楽と仏教話^^>ちょっとリッチな恋月夜」平安文学が楽しめます^^!! 珈琲貴族のmusictrack^^ ←クリック 珈琲貴族の作詞の音を見ること聴くことができます^^! 藤原定家が撰した百人一首、女流歌人は21人である 内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名である 女房とは、今の時代の妻を表すものでなく、貴族社会において皇族などに仕える部屋付きの女性のことを呼ぶ ただ、炊事洗濯などの雑用は一切しない、今の世で言えば、省庁に入って大臣などの世話をする秘書なのかも知れない 百人一首などに出てくる女性は、おそらく有閑マダム的な特権階級であったのだろう 私は、その一人であった清少納言が好きでたまらない 彼女の随筆「枕草子」は、1000年以上経った今でも彼女の息遣いが聞こえてくるほどである 私が平安時代に生きていたとするなら、街を歩くなら小野小町、付き合うなら清少納言、妻にするなら赤染衛門、浮気をするなら和泉式部、そして老後は伊勢と歌を詠みながらにしたいと思う 付き合うなら清少納言、それは何より鼻っ柱が強いそこが清少納言の魅力なのである 百人一首の中で、定家は清少納言の歌 「夜をこめて 鳥のそら 音ははかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」 を選んだ 私はどうしてこの歌を百人一首に定家が撰んだのか、わかる気がする この歌は、司馬遷の「史記」の中にある孟嘗君の故事からの応用である この故事を知らないものが読んだら、おそらく意味がよくわからない歌なのである 私も「史記」を読むまでは、表面、そしてこの歌の持つ清少納言の一流さがわからなかった 当時、漢詩を女性が読んだり書いたりすることは珍しく、清少納言や紫式部はそれが出来ていた そのことが、定家の目に留まったのかも知れない そしてそれは、定家自身の漢詩の造詣を誇示するために故意に撰んでの自信の表れだったのかもしれない あの世で定家に会うことができれば、是非に聞いてみたいと思う 私が撰者であれば、 「もとめても かかる蓮の 露をおきて 憂き世にまたは かへるものかは」 と「枕草子」にもあるようなものを安易に撰んだかもしれない 「故事談」、鎌倉時代の初期の説話集に清少納言がでてくる 「故事談」、どこまで本当のことが言い伝えとなって書かれているのか疑問であるが、かなりおもしろい逸話説話集である その中で、晩年の彼女は、荒れ果てた屋敷に住み、昔の面影もなかったらしい ある日、天上人の行列で清少納言の屋敷の前を通ったときに、その天上人は「少納言は無下(むげ)にこそ成りにけれ」と言った 無下とは、みすぼらしく落ちぶれたことを言う 彼女はそれを聞き漏らさず、その言葉に「駿馬の骨をば買はずやありし」と返した これも中国の戦国策の逸話から来ている 「主人に千金の駿馬を求めて出掛けたものが、死馬の骨を五百金で買ってきた主人は死馬を買ってきたことに怒り心頭である」が、その死馬を買った郭隗は平然と「駿馬を求めて、死馬でさえ五百金で買おうとする者の許には生きた駿馬が多く集まってくるだろう」と答えた 結果は、郭隗の言うとおりに どんなに落ちぶれようと、清少納言は清少納言であってほしい 何よりも自分自身を買って、自分自身を愛した清少納言、あっぱれである 剃髪をし、出家したところまでわかっているらしいが、没年は不明である だったら清少納言は、まだ生きているのかもしれないと、そんな妄想戯言もまた楽しいものである 次回は、良妻賢母と言われる赤染衛門とその百人一首に触れてみようと思う 「殿方に 負けたくないと 意地だけの 清少納言の 息遣いを聞く」 「己(おのれ)才 自分に溺れる 少納言 零落であろうと 我ここにいる」 おいおい^^和歌 「清ちゃんと 平安京の 夜を過ごす 枕の相思で 朝までイチャイチャ^^」(おいおい^^)!! 人気ブログランキングへ ←お読みなって楽しかった方は、左の「魔法の壷」をクリックしてくださいねっ^^! 【摘みたて旬の味『全判焼海苔』モニター50名様大募集!】 ←参加中 【年末お年玉特別企画】びっくりドンキーデミグラスハヤシモニター【500名様】 【2014年ありがとうキャンペーン】シュークリームくんを探せ!! ジャンル:芸術 続きを見る ['close']
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