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今から4年4ヶ月前(2007年1月12日)、結婚10周年を迎える年に待ちに待った赤ちゃんができた。
夫婦で涙を流して喜んだ。
妊娠してから何度か出血があったりしたけど、無事に安定期を迎えた。
だからお腹の子の仮の名前は「ふじみ」と名づけて声掛けしていた。

しかし、産まれる年の元旦に妻の体に異変が起きた。
お風呂に入ろうと立ち上がると、お腹に何か違和感があったようだ。
妻を横にして私が股の辺りを確認すると、白い風船のような塊が見えた。
これは危険な状態だ感じて、妻に病院に電話させた。
病院からすぐにきてくださいと言われ自家用車で向かった。

診察室に入って10分ぐらいすると私が呼ばれた。
先生の第一声は、「もう産まれてきそうです」という言葉だった。
エコーで確認すると、子宮から片足が出ている様子が映っていた。
「まだ19週の後半、産まれたら生きれないと思います」と当直の先生は言った。
「何としても助けてほしいです」と私は言った。
「そのときは延命処置を行いますか?小児科の先生とも連携しないといけないので」
と言われ、私は「出来る限りのことをお願いします」と涙を流しながら言った。
妻は放心状態ながら体も動かせない状態で辛そうだった。

それから30分ぐらい経って主治医が駆けつけた。
時計の針は元旦の深夜12時を回ったぐらいだった。
主治医から「どうしたの?」と声を掛けられ妻は涙が溢れてきた。
主治医から詳しい話を聞いた。
「今の状態はかなり厳しい。生存率は限りなく0%に近い。方法は2つ。」
「1つは子宮を縛って赤ちゃんが出てこないようにする。もうひとつは今の状態が落ち着くまで待って子宮を縛る」
「夫婦で考えて結論を出しなさいと言われた」
どちらにしてもリスクがある。今子宮を縛る手術をすると破水して産まれてくるかもしれない。
もし今産まれてきたら世界的にも生存の例がない。
このまま待っても破水するかもしれない。リスクは変わらない。
どちらを選択したらよいかなんて分からない。
30分後、主治医がやってきた。
思い切って聞いてみた。
「素人の私達が考えても結論がでません。先生はどちらの方法が良いと思いますか?」
数秒の沈黙の後に主治医は言った。
「ぼくの経験からすると今の状態で子宮にさわること自体かなり危険だと思う。さわっただけで破水するかもしれない。
もう少し落ち着くのを待った方がと思う」
主治医の言葉を信じ妻と決心した。
「先生の貴重なご意見にかけてこのまま落ち着くのを待ってみます」と主治医に伝えた。

この日から妻の12日間の寝たきり生活が始まった。
ベッドに起き上がることもできない、子宮の収縮を抑える薬の投与が続いた。
2、3日すると副作用で吐き気を催しご飯も食べれなくなり、
点滴と吐き気止めの薬も投与された。
右手左手は針の青あざだらけになった。

私も朝6時過ぎに病院に着き、夜9時ぐらいまで病院に通う毎日。
毎朝、医者が赤ちゃんの状態をエコーで確認するたび、
産まれてこないのが不思議な状態と言われる。
検査で炎症反応の数値も高くなり、母子ともにリスクも高くなって
きてると言われた。

妻は毎日のように、ベッドに横になったまま、
産まれてくる子供に話しかけてるようだった。
お腹の子供と一緒に飛行機雲を眺めて、生きて産まれてくること
を信じて勇気をもらっていたようだ。

状況は悪くなる一方で、薬はどんどんきついものに変わっていった。
毎朝、明日には産まれるかもしれないと言われ、1日が過ぎるのが長く感じた。

入院11日目の朝、今日明日が山場と言われた。
土日を挟むので出来れば月曜日まで踏ん張りたいと言われた。
その日はいつも以上に軽い陣痛が続いた。
夕方、主治医に心配な旨を伝えに行くが、今日は早く帰宅されていた。
以前から診てもらっていた部長先生が来てくれた。
様子を伝えるがあまり子宮を刺激してもと言われ様子をみることにした。
その日の21時ごろやっぱりおかしいので、もう一度部長先生に診てほしいとお願いした。
とにかくエコーで確認することになった。

エコーで確認すると、膀胱が大きく膨れ上がっていたようだ。
たしかにここ数日、頻尿が続いていたようだ。
部長先生はこれが原因で子宮を圧迫して陣痛みたいに感じていると言われた。
尿を管を入れて出すこともできるが、この尿を出したら子宮の圧迫を
開放して産まれてきてしまうから触らない方が良いと言われた。
膀胱のお陰で産まれてこないと信じ、膀胱に感謝したことを思い出す。

それでも不安で、病院に泊まって行こうかと妻に言った。
何度も大丈夫と言うし、膀胱が圧迫してるから大丈夫と自分に言い聞かせ
22時頃に病院を後にした。

自宅に帰りシャワーを浴び寝床について、日課の日記を書こうとした。
毎日寝る前に赤ちゃんと妻の様子を書き残していた。
突然携帯が鳴った。ジャスト23時。
心拍数が急に上がった。
登録していない番号に病院からだと直感した。
緊張しながら電話を取ると、
「○○病院ですが、奥さんが大出血して今すぐにでも産まれそうです」」
声を震わせながらすぐ行きますと電話を切った。
パジャマを着替えようとボタンをはずそうとするが、手が震えてボタンが
はずせない。ぶるぶる震えて情けなかった。
なんで病院に残らなかったんだろうか?自責の念に駆られた。
妻は大丈夫だろうか?赤ちゃんは?不安になりながら10分後に自宅を後にした。

病院まで事故を起こさずに着いたのが奇跡だった。
泣きながら妻の無事と赤ちゃんの生存がを祈った。
23時半前に病院に着いた。
分娩室に案内された。
妻と対面すると落ち着いた様子だった。
もう産まれたんだ、赤ちゃんはどうなったんだろう?
と不安な顔をしていると、まだ小児科の先生がスタンバイしてないので
産むのを我慢してもらってるとのことだった。
妻の無事と赤ちゃんが産まれてないことを知り安堵した。

私が到着後、5分ぐらいで小児科の先生が揃った。
奇跡的の間に合ったのも「ふじみ」がお父さんを待ってくれてたんだと思う。
小児科の先生が揃っていたら出産には間に合ってなかったし。
陣痛に耐えられずに産まれてきた可能性もあったのに我慢してくれていたし。

分娩台にあがり出産の準備が整った。
先生が深呼吸して軽くいきんでくださいと言った。
妻は先生や助産師に促されていきんだ。
一度力を抜いてくださいと言われた。
そしてまたいきんでくださいと言われた。
その瞬間、ポーンと水しぶきをあげて「ふじみ」が誕生した。
赤黒い小さい体で産声もあげない。
ものの5分ぐらの出来事だった。
鉄砲玉が飛び出すような勢いで、先生が両手でなんとか受け止めた。

2007年1月12日23時54分、女の子の誕生だった。
22週1日、27cm460g。
世界的に生存可能ラインの22週を1日超えた週数で産まれた。
産まれてすぐに、そばでスタンバイしている小児科の先生に渡された。
小児科の先生は準備したサランラップに「ふじみ」をくるんで、
ゴムのポンプみたいなもので酸素を送り込まれていた。
蘇生されていたのだろう・・・。
この時点で生きているか死んでいるか先生は一言も言わない。
緊迫した雰囲気の中こちらから聞くこともできない。
妻は出産後に胎盤を取り出すのが辛かったようだ。
子宮の収縮も辛そうだった。
あとから聞いた話では、無事に産んだという安堵感で一杯だったようだ。

そばでは小児科の先生の蘇生が続いている。
5分ぐらいしたら、小児科の先生とふじみは分娩室から出ていこう
としていた。
産婦人科の先生が私に言った。
「もう出て行くから顔を見てきてあげなさい」
出て行くふじみを小走りで追いかけた。
保育器に入れられたふじみに話しかけた。
「ふじみお父さん。後から行くから頑張るんだよ」
涙が溢れてきた。

それから分娩室に戻り、妻の様子を見守った。
この時、ふじみの生死をしるよしもなかった。
2時間近く時間が過ぎた。
私と妻の親族が集まってきていた。
看護師から言われた。
「今NICU(赤ちゃんの集中治療室)から連絡がお父さんにお話があるそうです。
NICUに向かってください」

午前2時過ぎ、1人で暗い廊下を歩き、伝え聞いたNICUにたどり着いた。
死んでいることを覚悟していた。
不安で胸が張り裂けそうで涙が零れ落ちた。
NICUで名前をつげ手や腕を消毒してNICUに入室した。
周りには保育器の中に小さな赤ちゃんがたくさんいた。
看護師がある保育器の前で立ち止まり言った。
「お子さんですよ。元気です。よかったですね。」
状況が分からないまま、その保育器を見ると小さな赤黒い赤ちゃんがいた。
保育器に向かって声を掛けた。
「ふじみ、お父さんよ。産まれてきてくれてありがとう。やっと会えたね」
涙が溢れてきて止まらなかった。
ふじみは手足をバタバタ動かして嬉しそうにしていた。
看護師はお父さんって分かってますよとが笑って言った。
お腹にいるときからずっと声掛けしてたから分かったのかな。
こんなに小さい体で一生懸命生きようとする姿に涙が止まらない。
心の底から命に感謝した。

NICUの先生からの話があった。
22週にしては最高の状態で産まれてきました。
でもまずは3日が山です。
そして3日を乗り切っても数多くの問題を乗り越えないといけません。
3日を乗り切るが能性は半々ですと言われた。
元旦に入院した時、可能性は0に近いと言われたのに、
生存の可能性が50%もあることに変な自信を持った瞬間だった。
2人に1人は助かる?みたいな気になった自分がいた。

分娩室に戻り妻に報告した。
産婦人科の先生から手足をばたばたしていた話も聞いていたようで、
嬉しそうに笑っていた。
それから病室に戻り親族に無事産まれたことを報告した。
一番幸せな時間だった。

次の日、私と妻の父と母と一緒に面会に行った。
姉たちも来ていたが、面会は親とじいちゃんばあちゃんだけしか
できないという規則だった。
小さな小さな赤ちゃん達には大きなストレスになるのだろうし、
感染の問題もあるみたいだ。
親達は複雑な想いでふじみを見ていたと思う。
こんなに小さな赤ちゃん、私達ですら見たことないし、
目も開いてないし赤黒い体しているし。
でも元気に手足を動かしていたことに救われた気がする。

その日の夕方、夫婦で面会に行った。
元気にばたばたしていた姿を見て、ふじみの名前は漢字がいい?
ひらがながいい?と妻が言い始めた。
お父さんはひらがなでいいと思ったけど、妻は漢字が良さそうだった。
私はふじみに聞いた。
「ふじみ、ひらがないがいいなら左手あげて、漢字がいいなら右手をあげて」
ばたばたしていた手足をきょうつけの姿勢に変えた。
その瞬間ものの数秒、右手をすっとあげた。
これはビデオにしっかり残っている。

ふじみが漢字がいいと言ったので、夫婦で病室に戻り漢字を考えた。
本当は、「琴音」という名前を考えようとしていた。
でも急に産まれたから、ずっとふじみと呼んできたから、生きてほしかった
から、私がふじみで押し通した。
妻には言った、もし次に子供を授かって女の子だったら琴音にしようと。
「ふ」の漢字から考えた。
歩くという字にすることにした。
次に「み」を考えた。
未来に未という字にすることにした。
なかなか決まらない「じ」を考えた。
当て字だけど、志という字にすることにした。
「歩志未」という漢字になった。
お父さんとお母さんの願いがこもった名前。
下から読むのだけど、「未来に志を持って歩いていってほしい」という
願いをこめた漢字にしてやることができた。

次の日、午後の面会時間が待ち遠しかった。
午後2時に面会に行った。
歩志未は昨日よりぐったりしていた。
声を掛けて反応しない。
ビデオを回すのをやめて、名前の漢字を伝えた。
歩志未という漢字にしたからね。
これからは3人で一緒に頑張っていこうね。
お父さんもいっぱいいっぱい頑張るからねと話した。
あまり元気がないから、早めNICUを引き上げようとした。

その時、
口や鼻やおへそから管をいれて監視されているのだが、
その監視装置からアラームが鳴った。
血圧や心拍が低下していた。
先生や看護師が駆けつけてきた。
先生と看護師が薬を投与して対応し始めた。
歩志未がんばれとしか言えないなさけない父親。
ただただ頑張ってとか言えないし、手も握ってあげれない。
数分後、血圧と心拍もなんとか持ち直した。

先生から容態を説明された。
今日はおしっこが出てなくて、体にむくみが出てきています。
お薬を処方しているが効果がない。
このような状況ですから今日が山場です。
できるだけお父さんも病院にいてくださいとのことだった。

不安な中、夫婦で病室に戻った。
病室に引き上げて10分ぐらいして携帯が鳴った。
お子さんの容態が急変したのですぐNICUにきてください。
妻は出産後3日目で車いすに乗っていたのに、私の肩をかりて
小走りにNICUに向かった。
着いたらアラームが鳴りっぱなし。
薬の投与、心臓マッサージの繰り返し。
先生は無言で心臓マッサージを続けながら言った。
「ご両親は、保育器の中に手を入れて握ってあげてください」
私と妻は、涙を流しながら保育器の中に手を入れて歩志未の手を握った。
小さな小さなお手手。
触ると壊れそうなぐらい柔らかい手。
保育器の中は湿気が高いので手はしっとりしていた。

歩志未がんばれ歩志未がんばれとただ泣き叫んでいた。
10分後ぐらいに先生は言った。
「残念ですがご臨終です」
お腹がヒクヒクしていて、「まだ息しているじゃないですか」妻が先生に言い寄った。
「機械で酸素を送り込んでいるからです」と言われ、2人も泣き崩れ頭が真っ白になった。
2007/1/14(日)15:54、お腹から出て、ちょうど40時間後の事だった。

それから1年半が過ぎようとしていた頃、新しい命が宿った。
そして2009年5月5日に、女の子が産まれた。
二女琴音の誕生でした。
歩志未につけようとした名前、この日が来るとは夢にも思えなかった。
歩志未からお父さんお母さんへのプレゼントなのかな?
くしくも、妊娠が分かった日は、歩志未も琴音もお母さんの誕生日9月11日。
偶然ではない必然だったのかな?
親と子の絆、科学では解明できない何かがあると思った。

今年の5月5日、琴音は2歳になった。
長女の歩志未もお空から笑顔で見守ってくれている。
子供達に命に感謝。

歩志未、琴音、産まれてきてくれてありがとう!
お母さん、歩志未と琴音を産んでくれてありがとう!

株式会社サンクチュアリ・パブリッシング

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歩志未パパ   2011-05-31 00:00:00 提供:株式会社サンクチュアリ・パブリッシング

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