『シャレコスキンケア』
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この記事は重くなってしまうだろう…
多分 今までのように笑って済む記事には出来ない…
でも、あえて 書いてしまえ 自分のブログなんだから (気合い!)
私はアダルトチルドレンだった。
そのことを知ったのは娘が生まれて間もない頃…。
幼い頃から私は 自分が生まれて来たことは間違いだったと考える子供だった。
何故かは解らない。
「生きていることがシンドイ」と常に感じていた。
「死にたい」この願望から逃れられない。
鬼が笑う 背中に張り付いたのだろうか 鬼が笑う…
ここに居てはいけませんか?
私が生きていることは許されないことですか?
これは私が中学1年の時に書いた詩である
中学生の少女がこんな詩を書くだろうか…。
食事の時 箸を誤って落としてしまうと 考えられない程 嫌な気分になった。
不幸のどん底のような…なんて大げさな と思うが その気分の落ち込みは抑えられないほど…苦しいくらいだった。
母が私を着せ替え人形の様に たくさんの洋服を与えて育てたので
私は大変おしゃれな子供だった。
なのに お出かけの仕度をする時 私はパニック状態になる。
箸を落とした時と似ている 暗く辛い気分。
何が私をそうさせているのかは解らなかった。
母は兄弟の中で一番 私にモノを与えた。
欲しいモノは何でも買ってくれた。
褒めてもくれた。
褒めるところが無くても 何かしら褒めて育てた。
「〇〇をお手伝いさんに育てさせて 失敗したから、則子は自分で育てた」母から何度この言葉を聞いたことか。
母の仕事の都合で 私は生まれて直ぐにお手伝いさんに育てられた。
母は忙しく 2歳まで離れて暮らした。
私が5歳の時 妹が生まれ 母は妹を自分の手で育てた。
その理由がこれなのだ。 「失敗したから」 私は失敗だったのだ。
私は良い子だった。
決して暗くない。 友達も沢山いたし、外で遊ぶのが好きだった。
母のことも大好きだった。 いつもおしゃれで綺麗で仕事の出来る母は自慢だった。
生きているのが苦しいことは 決して表には出さないでいた。
誰にも話したこともない。
箸が落ちて辛くなることも お出かけの着替えが苦しいことも 自分の中に飲み込んでいた。
子供心に この感情は異常だって感じていたから。
誰かに理解して貰えるものとは 到底考えられなかった。
なのに 母は気付いていた。
私が苦しんでいることに。 それが「失敗」ってこと?
だから 私には何でも買ってくれたのかな?
だから 私のことは一生懸命褒めてくれたのかな?
結婚して主人がいつも傍にいてくれるようになって私はとても落ち着いて来た。
もう 箸が落ちてもパニックにならなくなった自分に気付いていた。
ところが
娘が生まれて 娘が泣くと 私はどうしようもない孤独にみまわれ
地獄の底に突き落とされたような…苦しい苦しい 居てもたっても居られない様な。
どうしたのだろう?
なんだろうこの異常な感情は。
そんな時 見付けたのだった。
「アダルトチルドレン」の記事が 一冊の育児書にあった。
それを読んだ時
今までの謎が全て解けたような。
どうしても埋まらなかったジグソーパズルがようやく完成したような。
3歳までの幼児期に親と充分なスキンシップを受けずに育ったり虐待などの経験で
自分を否定してしまう人間になる。 生きていることを困難に感じる。
そういう人間を「アダルトチルドレン」という。
お手伝いさんといっても まだ10代で 家庭の事情で高校にも上がらず
中学を卒業して直ぐに家を出て 住み込みで働いているのだ。
自分の子供では無い赤ちゃんを そんな 大事に育てられる訳はない。
多分 虐待があったのだろう。
スプーンを上手く持てない赤ん坊に腹を立て 落とす度に…
着替えの遅い幼児にイライラして…
母は知っていたのかもしれない。
私の記憶には無いが 私が幼い頃 両足…太ももから足首まで大火傷をしたことがあったそう。
まだ、足首に残る火傷の跡は「ひいおばあちゃんがストーブの上のヤカンをひっくり返して 傍に居た貴女の足にかけてしまったの…」と聞いていた。
それだったのか? 「失敗」って それ?
ひいおばあちゃんでは無く お手伝いさんが…誤ってひっくり返したのでは無く…
私の足めがけて
どうしようもなかった
娘が泣く度 私は地獄の底に突き落とされる。
「だれか 助けて! 助けてぇ!!!」 苦しくて 苦しくて…
母を憎むようになっていった。
これまで大好きで女として尊敬していた母を許せなくなっていった。
「私で失敗した子育てを妹で修正して貴女の中では収支が合っても 私自身は修正が利かないのよ!
貴女のしたことは取り返しがつかないのよ!」
心の中で叫ぶ。
「欲しかったのはモノなんかじゃない!欲しかったのはお母さんのおっぱいだったのに!」
もう、駄目だった。
母には絶対に言ってはいけないと心に決めていたけれど
逢う度に その思いが湧き上がり ふたりの距離を離していく。
母には充分伝わっていたはずだった 私が急に遠のいてしまったことに…。
母が危篤と知らせが入る。
私はのろのろと 逢いに行くことをしなかった。
死に目には逢わずじまい…。
母が亡くなって1週間 私は涙が止まらず 寝込んでしまうほどの悲しみにくれた。
初七日の日 母を感じた。
私の中に母が居て 母の声が聞こえる
「貴女を愛していた。 ごめんね。」 毎日 母は来てくれた。
「貴女を愛していた。 ごめんね。」 体中が暖かい。 母が私を抱きしめている。
私の中の分厚い氷がどんどん溶けていくのが解る。
「お母さん ごめんなさい。 最期まで許せなくて ごめんなさい。」
「愛してくれていたよね ありがとう…ありがとう…」
何度繰り返しても 言い足りない 「ありがとう」
生きている内に伝えたかった。
私と同じ思いで苦しんでいる方 居ませんか?
もう、見えない敵と戦うのは止めにしませんか?
私は今 穏やかな日々を送っています。
天国の母に毎朝 手を合わせて 「ありがとう」と…。
あとがき
ブログにこんな事を書くなんて 夢にも思っていませんでした。
これまで 誰にも 打ち明けたことはありません。
きっかけは モニプラさんの「ありがとうのメッセージを…」のイベント。
こんな 長い記事になるとは モニプラさんもびっくりですよね!
こんな私の過去の出来事を もしお読み下さった方がいらしたら 心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
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miwakosan 2010-02-07 16:02:55 提供:シャレコスキンケア
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☆オシャレな人しか持っていない化粧品
シャレコ!! それはキレイな人の証です。
スキンケアの方法ってみんないろいろ言うことが違うし、どれを信じてやればいいかわからな~~い!! あれをやってもダメ、これをやったら余計にトラブルになってしまってと、お肌の悩みを抱えていませんか?
シャレコのお手入れ方法とスキンケア製品で本気のスキンケアを行って、どうぞあなたも肌トラブルのない、メイクをしてもしなくてもオシャレな肌・“シャレコ肌”になってください。
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