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『ハリキリママのおしゃべりコミュ二ティ』

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花は未だ

 卒業写真など取り出していましたら、時が蘇りました。昭和四十年(1965年)三月の高校の卒業式。

 所は、神戸市内の某高校。進学校でしたが、教育方針は質実剛健。反抗する生徒には、体育の教師が「びんた」を食らわすなんてざらでした。

 卒業式では、卒業生約600名が前、それを送る二年生が後。しかし、講堂が狭く、椅子は来賓の方だけ。

 式はお決まりの順に進みます。長いのが先輩にあたる地元の政治家や実業家と言った御来賓の祝辞。とはいえ、代理がおいでになって祝辞を読み挙げるのですから、退屈この上ない時間が、えんえんと続くように感じました。

 しかし、純な時代と言うか、携帯などない時代。時折、軽く咳払いの声らしきもの音がするだけ。私語をする者などなく、直立不動の姿勢のまま。式は粛々と進みました。

 午前中の数時間ほどの式の最期が卒業証書授与。これは、一人一人に手渡されます。

 窓の外の空は青々。しかし桜の花は未だ蕾。

 そうした時、ざわめきが起きました。式の緊張感と不動の姿勢を保っていたせいでしょうか。貧血を起こすなどして倒れる生徒が出たのです。それも、何人もの者が。女子生徒が最初だったのですが、男子生徒も一、二名。
 
 当時は、まだ都市部では食糧事情が悪いとか、貧しさから栄養失調気味の生徒もおり、それに輪をかけての受験勉強が終わったばかりの時期。緊張の糸が切れたのかもしれません。

 毎年のことだったようで、控えておられた先生たちが素早く駆け付け、肩を支えるようにして医務室へ。


 そして式は、終わりました。後は、クラスごとに順に担任を囲んでの卒業写真撮影。順番待ちをしていたその時、担任の先生がつかつかと私のそばに来られました。

 そっと耳打ち。「お前なぁ。倒れてしまわんかと、はらはらして見取ったぞ。姿勢も凍りついたようやし、顔色は青くなってくる。わしゃ、心配でならんかった」。

 私は「心配かけて済みません」と言った意味の侘びの言葉を言っただけのような記憶があります。

 本当のところ・・・・・・
名前を呼ばれたら、式台へさっと進まねばとの思いと、これで彼女の姿も見おさめかというある種の哀しみ。その思いだけでした。

 彼女。彼女はまったく気付かぬどころか思いもしていないこと。つまり、完全なる片想いの三年間。だらしないとお思いでしょうが、三年間の間に言葉を交わした記憶すらないというのでは、話になりませんね。

 ここまでくれば、そのまま胸の中でだけ「さよなら」。ただ、それだけ。


 後日談:後になって思い返してみると、正しい判断だったと思います。それが彼女への最低の礼儀。


 いや、いや、雨の日とはいえ、とんだ、昔話でした。


 備考:添付しましたのは、母校の卒業アルバムからです。学校名は伏せさせていただきましたが、校歌の詞を読めば、地元の方ならすぐにわかるかな

彷徨   2012-03-09 14:22:26 提供:湘南ゼミナール

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③人の痛みが理解できる優しさと思いやりを持った心豊かな人を育成する。
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