『ハリキリママのおしゃべりコミュ二ティ』
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以前にも、本企画に応募させて頂きました。
今回は、少し見方を変えて子供が自発的に行きたいと思うような、学校とか、塾という視点から考えてみたいと思います。
一つには、先生と子供の相性もあるようです。
長男の場合には、引っ越した先の学校で、確か5年生の時の担任の若い女教師が、見かけはいかついが、内心は繊細であると言う長男の性格を素早く見抜いて、勉強以外にもいろんな意味で生活指導的なことをしていただけたようです。
その方は、彼の小学校卒業とともに、別の学校に異動することが決まっていました。そして卒業式の日には、担任でもないのに、涙を流して長男の手を握り、「●●君、よかったね」とだけ、後は言葉になりませんでした。
そうしたことを彼は30代を過ぎても「いい先生だった」と覚えていると話したことがあります。
その方がなさった指導で、彼の成績が上がったわけではありません。ただ、教師にも信頼できる方がいると、これまで、今流にいえば、[しかと]され続けた彼が見出した唯一の光明だったのでしょう。
次に、同じく長男の初めての塾のお話。家の近くにできた、個人塾で、私が病気をしたせいもあり、通わせようと言うことになりました。しかし、長男は初日から行くのは否だと言いだしました。理由をただすと、塾の手続きに母親とともに行った時にお会いした塾長先生が、幼稚園の時の園長と同じで、ガマガエルのような奴だという一言のみ。
結局、高い授業料も数カ月で無駄になりました。
(後日談、その幼稚園の園長は躾が厳しいだけで、教育のうちの教が抜けていたように思います。)
しかし、不思議なもので、男の子なのに、ピアノのレッスンだけは喜んで行きました。中年の先生でしたが、やはり、いい人だと言ったきり。
これまた、ピアノそのものは旨くなりませんでしたが、その方が亡くなられた時には、大層落ち込んでいました。おそらく、彼の人生で何か忘れられない宝物をくださったのではないでしょうか。
ここまでは、長男の例をあげて学校の先生及び塾の講師の方との相性といった観点から書いてきました。
伝えたかったことは、大人と子供の関係においても、人間関係を旨く構築できるかどうかが、次の、勉強なり稽古ごとなりが好きになり上達する原点ではないでしょうか。
それは、少し難しく表現すると、先生や講師の方、それに、子供でも、ある種の矜持とでもいうべきものを持たねばならないと思います。これは、尊大になることとはまったくの別物で、基本は謙虚であらねばならないのは当然ですが。
次に長女の場合。
こちらは少し状況が異なります。
地方の新興住宅地の場合には、地元の子供と引っ越してきた、いわば余所者の子供の間には何か見えない一線があり、それはなかなかに消えないようです。私たちが移ってきたところも、もう二十年以上になりますが、そうした状況は同じ。そして、教育委員会や先生それにPTAの役員さんたちも殆どが地元の方というありさまで、その消し難い一線は、子供だけでなく、地域社会に存在しているように思います。
長女の場合には、少しばかり勉強ができるというので、ひどいいじめに会いましたが、いじめている男の子たちが、地元出身者ということ、また、先生自身にも、いまだに男女差別的な考えが抜けきれず、潜在的に女のくせにというような思いがあったのか、いじめを訴えても、「●●さんが生意気なんじゃないの」で終わり。
長女はその傷を抱えたまま思春期を過ごしました。そして、家庭以外に楽しいところは、通い始めた塾だけ。塾でできた友達の方が多いくらいです。
それは、その塾の講師の方が、成績の善し悪しとか、男女差とかいうことではなく、子供たちを公平にみてくださるからということだったように思います。
つまり、塾の講師の方、もちろん全員ではありませんが、長女のクラスの講師の方との人間関係の構築がうまく行ったせいだと思います。
いくら若い先生でも、社会人ですから、大人。まして教育に携わる方なので、先ずは、スキルや経験もありますが、やはり基本は人間性なのではないでしょうか。
長女の場合には、確かに女の子にしては理詰めで物事を納得しないと先に進まないと言うタイプ。その塾の講師の方は、前にも書きましたが、授業時間が終わっても、一時間や二時間は質問につきあってくださいました。
これは、ともにいい意味での矜持を持った人間同士のある意味では、戦いの場であったのかもしれません。
そうした彼女の心に残る教師像は、某私立高校に入学し、クラブ活動として入部した吹奏楽部の顧問の先生。その方は特に勉強そのものには直接タッチされておりませんでしたが、いろいろと世間話を交えて世の中のことを教えて下さったようです。志望大学にも無事合格できた後も、「○○先生どうしてるかな」と時々話していました。
ここまでで、私が書きたかったこと、(また、長くなりましたね。)それは、教える側と学ぶ側の意志の疎通というか、教師や講師の方が年上というか大人という意味では、教える側が子供の性格や素質を見抜いた上で、学習他の指導方針を決めることだと思います。そのためには、教職という、古いかもしれませんが、聖職につくだけの矜持を持つことが必要だと思います。
時により、教師、或いは、塾の講師の方により、その子の一生のかなりの部分が決まる場合もありますからね。
ここまで書いてきたような、昔なら当たり前とでも言うべき教師、或いは塾の講師を見つけるには、いかにすべきか。
それは、両親の仕事でしょう。
義務教育間の学校は私立にでも行かない限り選べませんが、塾は選べます。塾の方針、或いは講師の方の人格等を、先ずは、親子でよく見て、それから、子供が「あそこなら行きたい。否、行かせて欲しい」というような塾。それが、塾の理想ではないでしょうか。
以上、私自身の子育ての反省も踏まえて、行きたい学校、行きたい塾に関する一考察を記させて頂きました。
彷徨 2010-12-06 17:32:15 提供:湘南ゼミナール
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