『大島椿ファンサイト』
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髪への紫外線ケアしていますか?紫外線でダメージを受けた髪は、キューティクルが剥がれて、パサつきやゴワつき、ツヤの低下に繋がることに...。そんなあなたに大島椿ヘアスプレーをご紹介します。★忙しい朝にもぴったりの手軽なスプレータイプ髪全体が十分にしっとりするくらいスプレーして手ぐしやブラシで整えた後、自然乾燥かドライヤーで仕上げてね。寝癖直しにも大活躍だよ♪★アウトバストリートメントとして使用アウトバストリートメントとして手軽にシューっと髪全体に使ってもらえるよ。計算された噴射量だから、簡単に髪全体に均一にスプレー可能だよ~。★ブロー後の仕上げで艶髪が完成ブロー後の仕上げにスプレーすることで、髪一本一本をコート。紫外線や乾燥のダメージから守り、ツヤもプラス大島椿ヘアスプレーを、ヘアブローのあとにシューって髪全体にスプレーするだけ!と~っても簡単(^^)v椿油が髪表面をコートして、キューティクルの損傷を防ぐよ☆髪一本一本をなめらかに整えるから、ツヤツヤの髪に❀お出掛け時のヘアセットにもオススメです。髪の紫外線ダメージ対策をして、艶髪で夏を過ごしたい方にお勧めのUVケアヘアスプレーですブロー後に輝くツヤをプラス大島椿ヘアスプレー★天然の椿油100% (※)大島椿は椿の種子を昔ながらの方法で丁寧に搾った天然のオイル。原料にもこだわり、良質の椿油だけを使用してるんです。農薬などは一切使用。手軽に使えるスプレータイプです。 ※噴射のためにLPGを使用しています。★アウトバストリートメントとしてアウトバストリートメントとして手軽にシューっと髪全体に使えます。計算された噴射量だから、簡単に髪全体に均一にスプレーできます(^^)v無香料だから好きなシャンプーや香水の香りを邪魔しない。★ブロー後の仕上げで艶髪が完成ブロー後の仕上げにスプレーすると、髪一本一本をコート。紫外線(UVB)や乾燥のダメージから守り、ツヤもプラス。時間のない朝でも簡単に艶髪に仕上がります。固めずふわっとまとめるから、ナチュラルなまとめ髪を作るときにも◎ですね~~~(≧▽≦)みなさんも、是非このヘアスプレーで真夏の紫外線対策始めませんか?髪のダメージを防止しする大島椿ヘアプレー本当にお勧めです。今日は、大島椿様より嬉しいモニターのお知らせがあります。上記で紹介した大島椿ヘアスプレーを抽選で10名様にモニタープレゼント皆さんも是非このイベントに参加してキラキラした艶サラ髪を手に入れませんか♪♪(*´▽`*)ノ゛モニターへの参加は、こちらキラキラ太陽からの紫外線ダメージ対策を♪大島椿ヘアスプレーで手軽に艶髪ケア☆商品の詳細は、こちら企業紹介大島椿株式会社ツバキ専門メーカーの大島椿です。天然の椿の種子から搾った100%植物油『大島椿』をはじめ、椿油配合のシャンプー・トリートメントなどのヘアケア用品、また人間の皮脂と同じ成分を含むという椿油の特性を生かした低刺激性のスキンケア製品など、椿油にこだわった製品をお届けしています。ちょとここで、大島椿の歴史をご紹介温暖な気候に恵まれた伊豆大島。そこに自生する椿から採れる黄金の油を広く世に紹介したのが創業者 岡田春一氏です。(左の写真)明治33年広島県豊田郡に生まれ、政治家を志し早稲田大学に進学。卒業論文を書くにあたり訪れた大島で、その美しい雄大な自然に感動し、島の発展、開発に一生を注ぐ決意をします。創業当初のボトルデザイン昭和2年、コロッケ6個~8個が10銭の時代にツバキ油は小瓶40ml位で30銭と高級な油でした。30銭用意できない人にもツバキ油の良さを理解し使って欲しいと銅壷にツバキ油を入れ一軒一軒、訪問販売の量り売りから始めました。926年大正15年(昭和1年)2月25日:昭和に改元1927年(昭和2年)合資会社大島椿製油所を伊豆大島に設立日本初の地下鉄(浅草~上野間)開通モボ、モガが流行語カレーライス10~12銭1929年(昭和4年)世界恐慌始まる大学卒業者の就職難深刻(東大卒の就職率30%)1930年(昭和5年)東京市小石川区西古川町に東京工場設立(現在の文京区)「大島椿ポマード」発売銀ブラが流行語コーヒー10銭 映画館入場料40銭こうして見ると、本当に歴の深い大島椿だと思いました。このマーク見た事あるでしょ?わたしは、小さい頃から見ているので懐かしいな~なんて思います。大島椿の商標と同時に誕生したのが、「大」と「椿」の文字を組み合わせたダイツバキ印(マーク)。外側の二重丸に見える部分は、「大」の字がデザイン化されたもの。椿の花のデザインは、線画の椿から大胆な一輪の紅い椿になり、現在までどちらも変わらず使用しています。戦前の主な販売先は、店で小売する他、雑誌社の購買部やデパートでした。当時のデパートで扱われる商品は、きびしい商品検査を通過した一流品ばかりでしたので、デパートに商品を納められることは大変なステイタスでした 。昭和25年頃の大島椿の宣伝カーです↓第二次世界大戦後の混乱期には、伊豆大島のツバキ油と称してツバキ油以外の粗悪品が出まわった為、全国各地への宣伝活動を行いました。昭和25年頃から約 5年間行われたこの宣伝活動は大型バスをキャンピングカーのように改造し、大島のアンコさんを乗せて、1県を2~3週間かけてまわりながら全国津々浦々行脚するというもので、テレビが無い時代に大島から来たアンコさんの歌と踊りは大変珍しく、1日1000本売れることも珍しくなかったとのことです。大島椿の歴史が、少しでもお分かりになりましたか?実家にも、祖父母の家にも昔からありました。ボトルも、今の原型と余り変わらぬ感じで一目見て、大島椿だと直ぐに分かる黄色のパッケージとどっしりとした瓶が印象的でした。
なおっち 2015-07-21 19:06:31 提供:大島椿株式会社
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