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本企画、本来は、中学から大学までの受験エピソードなどを記し、何方かのお役に立てばいいのだろうが、自体験を記しても、大台を大きく越えた今の自分の年齢を考えると、あまり役に立たないだろう。
と思いつつ、忘れられない受験の記憶が務めてからのことだがあるので記してみた。
受験した資格は「X線作業主任者」という国家資格の試験。仕事の都合上、職場の誰か一人が資格を取る必要があった。
勤務先のセクションには、記憶する限り10名ほどいたかと思う。全員が受けろとの会社命令。半額を会社負担。合格すれば、全額負担という条件。
しかし、合格したところで仕事が増えるだけで、資格給などつかない。
知らされたのは、試験の数か月前のことだった。
しかし、その頃は、仕事が忙しく、受験勉強の余裕は誰もない。
そうした試験があと一週間ほどに迫った頃に、数日間某大学の協力での試験研究の仕事が入り、泊まり込みになった。
朝は早く、宿舎への帰りは遅い。そんな毎日で、晩飯を9時ごろ食べてから、「やるだけはやるさ」と言う気持ち、そして、受けるからには絶対に通ってやるという意気込みで、ほぼ徹夜で勉強し、朝からは仕事。
まだ、心身共に若かったのかもしれない。
晩酌代わりの酒を飲んで飯を食い、酔いがさめた頃になってから、共に泊まりこんだ同僚と共に、テキストを広げて未明までの受験勉強が続いた。
試験内容は、専門分野は理系故頭に入りやすかったが、問題は法令の理解と暗記。これをその泊まり込みの数日間でものにせねばならなかった。
そして、帰社後、すぐに受験日。
それから、しばらくして通知が届いた。
結局、合格したのは、その泊まり込み組の私を含む二人だけ。後の居残り組は全員不合格。
「お前ら何しとったんや」と大威張りで合格証書ならぬ、資格証を見せたことなど思い出す。
こうしたことから、一つだけ教訓。それは、あらゆる受験に通じると思うので記させていただく。
受けるからには、少なくとも、最大限の努力を惜しむな。そして、時間がある限り答案用紙にしがみつけ。もし、受かりたいなら、人が何と言おうと、脇目をふらずにやること。
これが、私流の受験合格の秘訣。理系にもかかわらず、いろいろな資格試験に挑戦したが、頭も世間並みの私だが、歳も食ってから、極端に言うと60歳近くになってから取った資格もある。それが、最後の受験の簿記二級だった。
○○勝1敗1引き分けと言うのがこれまでの人生での受験結果。○○は全て覚えていない。
一敗は完全なる準備不足だったと反省している極端に難しい、無謀な受験だったようだ。
そして1引き分けは国立は通ったが、その頃の受験制度にあった二期校の公立大学が補欠だった点。
本当に行きたかったのは、そちらだったし、すぐに補欠合格の通知が来たが、家の事情で国立に行くことになったのも、今の自分を振り返れば運命の皮肉かと思う時もある。
長々と書き連ね、最後までお付き合い願えた方がいらっしゃれば幸い。
要は、何が何でも通ってやるという、頑ななまでの強い心と動機。それが天才とか秀才とか言われる方を除けば全てではなかろうか。とにかく最後の最後まで諦めない執着心ではないだろうか。
追記:いよいよ本格的受験シーズン。受験生の方々。あなたたちは恵まれている方も多い。かけもち受験などざらのようだ。
しかし本命は一つのはず。それなら、退路を断ち、一つに賭ける気概。これがなければ全滅が目に見えている気がするし、受験に伴う諸費用が無駄なだけ。
さらには、仮に合格しても、本意でない学校とか学部では、5月病が待っている。このことを肝に銘じて頂きたいと、一言アドバイス。時代遅れと余計なことならお許し頂きたい。
彷徨 2012-01-27 20:04:04 提供:数学教育研究会
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